◆2011/05/02(月)
最も危険なのは、人間のアレだ。(飯山さんのブログから)
先月、私は世間様に「トンデモない」提案をした。
「トンデモない提案」とは、次のようなものだ。
米の一番とぎ汁をペットボトルに詰めて、室内常温で1週間寝かせると
乳酸菌など発酵菌が増えて、酸っぱい水になる。
もし、臭かったら失敗。酸っぱいは成功。
この酸っぱい水を噴霧器で霧にして肺に吸い込む。
翌日、肺臓から放射性物質が痰=タンとなって出てくる。やってみな。
乳酸菌など発酵菌が増えて、酸っぱい水になる。
もし、臭かったら失敗。酸っぱいは成功。
この酸っぱい水を噴霧器で霧にして肺に吸い込む。
翌日、肺臓から放射性物質が痰=タンとなって出てくる。やってみな。
米の一番とぎ汁を発酵させ、その水を霧にして肺臓に吸い込む…。
これは危険だ! と思うヒトが、普通は多いはずだ。
しかし私のところに、危険だ!と言ってきたヒトは、たった一人だけ。
あとは、異議なし! という雰囲気だ。
いまは、私の知るだけでも2千人近いヒトが、乳酸菌液を霧にして吸っている。
それで、まっ黄色い痰(タン)が出た、血も混ざっていた、
気持ち悪い茶色の痰が、といった報告が続々ときている。
その気持ち悪い茶色の痰や、まっ黄色の痰を、
その気持ち悪い茶色の痰や、まっ黄色の痰を、
α線も測れるガイガーカウンターで計測した報告もあるのだが、それはココでは書かない。
ところで、肺という臓器は胸の奥深くにあるのだが、
じつは呼吸という生理活動によって、肺臓は大気と直結している。
したがって、大気中に浮遊していた雑菌、病原菌、病原性ウイルス、
チリ、ホコリ、ニコチン、タール、それから今、大気中に舞っている放射性物質も、
呼吸によって肺臓のなかに飛び込んでくる。
だから米のとぎ汁を発酵させた乳酸菌液を霧にして肺に吸い込んでも、肺はビクともしない。
だから米のとぎ汁を発酵させた乳酸菌液を霧にして肺に吸い込んでも、肺はビクともしない。
危険だ!と言うヒトの頭の脳味噌のほうが危険なのだ。
そんなことよりも…、いま、自己防衛のために、懸命に米をとがねばならぬ現実。
この厳しい現実こそが、危険な地獄の賽の河原なのだ、と私には思えてならない。
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5月2日の飯山さんのブログ記事です。
あれから3ヶ月、乳酸菌をとりまく状況に少し変化があります。
でも、その変化は、何かを大きく動かすものでもなく、
時間と共に通り過ぎていくゴブゴブした通り雨みたいなもの。
雨と一緒に流されていくのもよし、雨を恨みながらずぶ濡れで叫ぶもよし、
雨を罵りながら全速力で駆けて行くのもよし、
雨を罵りながら全速力で駆けて行くのもよし、
雨に含まれる意味不明のものに触れないように完全防備で仕事を続けるもよし、
取りあえず軒先で静かに雨宿りしながらバタバタ落ちていく雨粒を眺めるもよし、
きっとみんな、それぞれのやり方でこの、はた迷惑でうっとおしいゲリラ豪雨に
対処しているのでしょう。
私なんかは、のほほ~んと家の中にいて「降りたいだけ降りなはれ」とつぶやきながら
豆乳ヨーグルト食べたり乳酸菌風呂に入ったり…(笑)
今は、色んな意味で「問われている」んだと思う
考え方・生き方、これまで何となくやり過ごせてきたものが、
いつのまにか胸元まで突き付けられて
いつのまにか胸元まで突き付けられて
さあ、お前の選択は何だ?と。お前の立ち位置はどこなんだ?と。
・・・さて、私の選択は?
ゲリラ豪雨が、放射性物質にまみれながらジャボジャボとただ落ちて流れていく音を
遠くに聞きながら・・・
淡々と乳酸菌生活を続ける。それは、もう、私にとって普通の、日常の風景だから。
淡々と乳酸菌生活を続ける。それは、もう、私にとって普通の、日常の風景だから。