2024/03/14

会えなくなっても 親孝行

■「趣味は『親孝行』」という言葉を聞いた。

離れて暮らしている親御さん達と、

月に数回程度、食事会や旅行など一緒の時間を過ごすことを

長年の習慣としているという。

既に両親ともに見送った私は、

この回答に、瞬間、淋しさや切なさを感じてしまった。

それなりの年齢ではあったし、

ある程度の覚悟はあったのだけれど。


失ってから気がつく、より具体的に

もう、喜んでもらうことは出来ないのだ。

もう、何もしてあげることは出来ないのだ。

記憶の中の、なんてことの無い会話一つ一つが

何と大切な時間だったことか。


幾つになっても、親は親なんだな。


年を重ねれば重ねるほど、

様々な経験が増えるほど、

自分に対する親の思いを理解しやすくなり、

より複雑な感情を抱きしめることとなる。

親が嬉しそうな様子には

本当に心が満たされる幸福感を感じた。

でも、もう失ってしまったのだ。


触れることも、言葉を交わすことも、

2度とは出来なくなってしまったのだ。

何という淋しさ

何という切なさ

何という喪失感

何をやってたんだ?私は。

もっともっと、できることはあっただろう?


動かせない過去にウダウダしても仕方ない。

この感情の出口を見つけるしかない。


■もし、私が残していく方だったら?

もし、自分が家族を残して旅立った方だったら?

言葉を掛けることが出来なくなってしまった私は

どう思うだろうか?


・・・幸せであってくれたら嬉しい。


元気で、つつがない毎日を重ねてくれたら

もう、それだけでいい。

それを眺めているだけで、充分幸せに思う。

で、時々、家族で思い出話なんてしてくれたら

それで笑っていてくれたら、最高に幸せ。


・・・ああ、そうか、こんなところに答えがあった。


■私が幸せなら、家族も幸せなんだと・・・決める

こういう基準は人それぞれだから、

これは私の個人的な「最適解」。

「私が元気で幸せである事が、

先に旅立った家族の喜びになる!」

そう決めてしまえば、

会えなくなっても出来る親孝行は

私の中には間違いなく存在するのだ!


思い込みでも何でも良いじゃないか。

自己満足でも良いじゃないか。

心が深呼吸する、楽になる。


■では、「私の幸せ」とは?

では、会えなくなった家族を喜ばせるような

「私の幸せ」って何だろう?

私の幸福感の基準は、条件は、何だろうなあ・・・

これを、具体的に設定してみたいな。


大丈夫、私は元気ですよ。

いつか、もう少しだけ未来に 

そっちのみんなに会える日が来たら

ちょっとはほめてもらえるように・・・

今を楽しみながら、過ごしていますよ。

2023/10/12

冬の星座(歌詞付き)



美しい歌詞に心震える『冬の星座』 作詞者はバリバリの理系

夏場は4時台でもそれなりに明るく、

ウォーキングに出る時間は適当で良かった。

歩きながら徐々に明るくなっていく景色に浮かれ、

気分良くずんずん歩いて、毎朝4~5km。

帰着したらシャワー軽く浴びて汗を流し、

体組成計に乗って記録をチェック。

ラジオ体操が済んだら、一日が始まる。


が・・・今、5時半でもまだ暗い。

歩くのにはちょっと躊躇、これは粗忽者の危惧。

落ちてしまいそうな川や畑や田んぼがそこかしこにある。

懐中電灯を持ってまで行くほどの情熱はない。


ウォーキング時間を、少しばかり後ろにずらして、

習慣となっている6:25からのラジオ体操は、

NHKプラスで後から追いかけると決めた。

ま、テキトーに(^▽^)


秋から冬に向かうこの時期の星々は、

ひんやりと冴えた空気の中で

深呼吸したくなるほど美しい。

時間をずらしたから、

見える星は少なくなっているけど、

金星は美しく朝の空にある。

のんきに歩きながら、

母が好きで歌っていた歌を思い出す。

『冬の星座』


木枯らしとだえて さゆる空より

地上に降りしく 奇しき光よ

ものみないこえる しじまの中に

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


ほのぼの明かりて 流るる銀河

オリオン舞い立ち スバルはさざめく

無窮をゆびさす 北斗の針と

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


何て美しい歌詞なんだろう!

「木枯らし途絶えて 冴ゆる空より」

「ものみな憩える 静寂(しじま)の中に」

「無窮をゆびさす 北斗の針と」

日本語の美しさに心震える。


作詞の堀内敬三さんは、明治30年生まれ。

他にもドヴォルザークの新世界より『家路』とか

慶應義塾の『若き血』とか、

沢山の作品を残されている。


奇しくも、今日10月12日は、

堀内さんの没後50年の祥月命日にあたる日らしい!

大好きだった祖母と同じ明治30年生まれでもあり、

何とも不思議で素敵な、今日と言う日の偶然。




しかし、こんな美しい詩を書かれる方が、
実はマサチューセッツ工科大学大学院修士課程で、
応用力学を専攻されたバリバリの理系だというのも

・・・実に面白いw
『ガリレオ』の湯川教授(福山雅治)は物理学者だったな。

2023/05/01

歯科の診療台の上、人は無力で無防備である。

■痛み、恐怖、なされるがまま。

過去の自分が、今の状況を作ったのだ。

痛みや、それに伴う恐怖心は

過去の私の価値観に基づいた行動、

あるいは、何も考えてなかったから

適切な行動を取っていなくて

その結果として、いまここにある。

ここでは、人は無力で無防備なのである。


この先の未来で、

これとは違う良い結果が欲しいなら

この痛みと恐怖にさらされて、

それを超える必要があり、

そうやって初めて、

ここからスタートする健康リスクマネジメント。

・・・そんな大層なものでもないか(笑)


歯科の診療台の上で、人は無力で無防備である。

いや、大事な事なんだよ!

本当に、本当に、大事なんだよおおおおおお!

「歯を守ることは、いのちを守ること」

大事な事なので、もう一度書きます。

「歯を守ることは、いのちを守ること」

2023/01/07

「食わず嫌い」が「食ってから決める」に転生:2

 ■食わず嫌い返上オペレーション スマホ編

食べ物に好き嫌いは、ほとんど無い私だけど、

食べ物以外の、身近なところの「食わず嫌い」も、

「食ってから決める」に変えてみよう!と決意。

家族達の「スマホに変えろ!」攻勢を

のらりくらりはぐらかして、

「タッチパネルって何か嫌い!ガラケーで充分!」

と、先延ばししてきたけど・・・


業を煮やした若手の家族に、遂に実力行使されて、

遂にスマホが私の手元に来てしまっている。

もう食ってみるしか無い、これ。

ならばいっそ、喰らい尽くせ!ベルゼビュート!!

・・・永遠の中二病。


■「食わず嫌い」が「食ってから決める」に転生

週明けに、ショップに手続きにいくんだってさ。

年末に心に決めたとおりになっちゃうワケだ。

すごいね、心に決めたら、そうなっちゃったよ。

これまでの、意固地なまでのスマホ拒否をかなぐり捨てて、

転生したくらいの心意気で、

スマホを使ってやろうじゃないかと、

年の初めに、心に書き初めした次第。


無知の食わず嫌いは、機会の損失の可能性ありと心得たり!

2022/12/30

スマホを持っていない

 スマホを持っていない。

もしかしなくても、今どき、かなり珍しい。


でも、「スマホが無くてとても困る!」

ってことがなかったから、特に不自由も無かった。

ガラケーがあれば、取りあえず・・・大丈夫だった。


大して使いこなしてもいないけど、

それなりに使える古いノートPCがあって、

それで出来る事くらいしかしなかった。


で、今年2022年。

そのノートPCが、ちょっと疲れていた(笑)

ちょこちょこと電源が入らないことが続いて、

それでも、まあ、たかをくくっていた。


昨年春からの1年くらいの間に、

大事な家族との悲しいお別れが3度もあって、

かなり打ちのめされていた。


体調も崩れやすくなって、

それ以上に心が不安定になっていた。

いろんな事に鈍感になっていた。


なので、

スマホのない私が、

PCまで機能しなくなると・・・

けっこう困るんだと気づくのに

ちょっと時間が掛かった


5月の末のお別れから半年以上過ぎ、

さすがに、その悲しみを言い訳に

いつまでもウダウダしていたら

空の上にいる家族に心配かけると・・・

やっと気がついたのは

12月も終わる頃。


このタイミングで

これまで安定して起動しなかったノートPCが

うまく立ち上がるようになった。


長い執行猶予期間が終わって、

「さあ、何かやれ!」

と言われていると受け取ろう。


その勢いで、色々片付けていたら

先週、家族がスマホを買ってくれた(笑)


やっぱり、「何かやれ!」の流れ?


・・・でも、まだガラケーを使っている。

慣れているというのは、

変化に抵抗すると言うことか?


いや、変化、いいじゃないか?

生きていれば変化するのが当たり前だな。


契約とか、何だかかんだかは、

家族が一緒にやってくれるらしい。

それまでに少しは自分で学習しておこう。

・・・多分、無理っぽいけど。


それにしてもスマホ、

サッパリ分からない。

あれこれ検索かけたりしたけれど(T-T)


先ず「単語」から分からないよ。

やれやれだよ(>_<)


でも、だからこそ、

新しいことにチャレンジして

とにかく前を見ていくことに意味を見つける。


泣いてばかりいたって、誰も喜ばない。


ノートPCが繋がっているうちに・・・と

取りあえず、超・久しぶりに更新。


私は今、生きている。

すっかり泣き虫になったけど。


お庭の南天も、赤くなってきた。

静かな年の瀬。