2020/03/30

『漠然としたネガティブ』を蹴散らかす

■これまでに経験したことのないようなことが続くと、
自分の経験から出来る判断では、段々と追いつかなくなってきて

立っている場所が揺らぐというか、
自分の軸を見失いそうになる。

■形のハッキリしない不安とか、
表現しにくい焦りとか、

漠然としたネガティブの濃度が高まる感じで・・・
息苦しい気持ちになる。

■『漠然としたネガティブ』

雰囲気で使っちゃったけど・・・

目には見えないくらい、
ものすごく小さい粒々(つぶつぶ)
だけど、ちゃんとそこかしこにあって、
その数が増えると心に影響するってイメージ。

これが多く漂う世界(環境)には、
元気の粒々が少ない気がする。

元気の粒々って・・・
まあ、似たようなもので質が違うという解釈。

■何を考えても、何をやっても、
どことなくネガティブな感覚に支配されて
元気が出しにくくなる。

前向きに考え、前向きに行動することに、
奇妙な抵抗を感じるようになる。

首まで浸かった水の中を歩いているような、
ゼリーみたいなスライムに、
すっぽり包まれてるような・・・

地味~にHPを削られて、弱っていく感じ。

■闘える『敵』なら倒せば良いんだけど、
形になっていないから、
闘い方すら分からなくて、
ただ弱っていく。

『漠然としたネガティブ』
自分の内側で増殖していくと、
内側からもHPを削っていく。

でも、これ全部 
自分自身の心が作り出したもの。

外側から取り入れた玉石混淆の情報を、
足りない頭で分析・判断すると
こうなるのは当然。

*********

家族の命の期限に何の保証もなく、
1分1秒後にどうなるか、
誰にも分からない状態が長く続くと

継続される緊張が、
地味にストレスとなって蓄積されて
自分自身も弱めてしまう。

現実に立ち向かう力を失わないために、
妄想だろうが、
荒唐無稽だろうが、
非科学的だろうが、

自分で自分の中に、
『希望』の種を蒔きまくっていく。

新型コロナの影響で、
母の病院全体が今日から完全面会中止。

毎日、面会に行っては触れて、話しかけて、
思いを込めて、家族全員分の心のエネルギーを渡していた。

それが出来なくなった今、今度は
離れた場所にいても同じものを、
いや、いっそ思い切り増幅させて

病室でひとり闘っている母に届けと、
さらなる愛と情熱をこめ祈り、願う。

*********

■母のことに限らず、
今を乗り越えて生きるために、

具体的に出来る事は、
全部やろうと思う。

■今まで、「これはちょっとな・・・」
と思っていたことが
単なる甘えだと思える様な今は、
本当に変わるべき時なんだろう。

■今までに無いことが起こっているのなら、
今までにない自分を、生み出していけば良い。
今までにない自分に、作りかえていけば良い。

■したことないとか、
めんどくさいとか、
しんどいとか、
そういう、
先送りの言い訳みたいなもので
何となくごまかして

自分が持っているかも知れない何かを、
出し惜しみしている余裕などない。

■世界や運命や時代が変わっていくのなら、
それよりも速い速度で、
自分が変われば問題ないかも?

■そうして、
今の不安や焦り、漠然としたネガティブの素、
吸い込んで、喰らいついて、飲み込んで、
自分のエネルギーに変換する。

前を向いて、
出来る事に全力で取り組むための力にする。

■いい、気負い込む必要はない。
淡々粛々、多分それが自分にとっての、
一番続くやり方。

自分の中で強く決意したなら、
それを行動に移すだけ。

■先ずは、挫けない。元気を出す。
そこからのスタート。

今のこの、
(自分の)世界に漂う『漠然としたネガティブ』の
濃度を、どんどん下げていって、
別の良いもので満たしたい。

『漠然としたネガティブ』を蹴散らかす!

*******

■今は、人とか国とか、
自分以外のものに責任をおっかぶせたり、
非難しても何の意味も無いと思う。

本当に闘うべきは、
自分の中の怠惰と驕りと、
正体不明の不安。
多分、それが『漠然としたネガティブ』になる。

■ネガティブに満たされた、
メディアの要らない情報も遮断する。

より精度の高い良質の情報は、多分、
テレビのワイドショーから離れても、
充分得るチャンスはある。

■不用意な行動で、
新型コロナに知らないうちに感染して、

知らないうちに自分が感染源に
何てことにならないように気をつけるのと同様、

無自覚のうちに自分自身が、
不確かで粗悪な情報の
拡散媒体にならぬよう。

■自分の中の『漠然としたネガティブ』を、
外に影響させない。
増殖させない、感染させない、拡散しない。

外側からの『漠然としたネガティブ』を、
自分の中に取り込まない。

■この、今までに経験したことのない
途轍もない状況の中で、
自分自身も、
今までに経験したことのない変化を
しぶとく乗り越えていこうと思う。

生々流転

生きていれば、変化しないものなどない。
変化は、生きている証拠。
生きていくために変化する。

**********

オンラインゲームどころか、
ゲーム自体DQ7とFF7で時を止めた私だけど

BGMとして、
気に入ったものだけ聴いたりしている。

ゲームの内容は一切知らないままに、
その時の自分の気分に合わせて流す。

で、今はこれだ。こういう気分。


2020/03/28

しぶとく、出来る事をやっていく。

母が入院している病院から、昨日連絡が入った。

病院からの電話は大抵、
母の容態が・・・と言う内容なので
不安で辛い気持ちになる。

昨日の電話は 
急変の知らせではなかった。

でも、ある意味もっと衝撃を受け、
心を乱すものだった。

********

毎日毎日、
短い面会時間の許す限り母の元へ行く。

現状、15歳以下は面会できないので、
その気持ちだけ持って誰かが行く。

もう10年以上も前に認知症を発症して、
徐々に色々なことが分からなくなっていった。

自宅介護の間にも機能は低下していき、
入院してからは、誤嚥も増えて、
今は鼻からのチューブで栄養を摂っている。

1日中ベッドに横たわり、
同じ景色しか見えない状態では
脳への刺激もほとんどないだろうからと、

せめて、面会に行ったら
話しかけたり、なでたりさすったり、
あちこちマッサージしたり
録音していった幼い家族の歌を聴かせたり、

思いつく限りのコミュニケーションを・・・
少しでも脳の萎縮を緩やかなものにしたかった。

反応があってもなくても、
それが母の命のエネルギーに繋がっていると信じて。

********

面会時間に制限が出来たのは、
新型コロナの国内感染が出てから。

そして、

週明けの月曜日、3/30から 
面会は全面禁止となる。

・・・連絡は、そういう内容だった。

「急変があれば、すぐにご連絡します」
と言っては下さったけれど、
それは、家族にとっては
『最後通告』と同じこと。

母は今年に入ってから状態が思わしくなく、
今月の初めには、

「もういつ何があってもおかしくない状況だと思ってください。
 長く会っていない方がいらっしゃったら、連絡してあげてください。」

と言われていた。

検査の結果、
大きめの腎臓結石が発見されたけれど、
体力も無いし、負担が大きくなるから危険で、
手術は出来ないと。

肺の下の方に、一部なにか水のようなものがあると。
今続いている発熱や、呼吸障害も、
心臓に負担がかかっていると。

家族で相談しながら、
思い当たるところには連絡を入れた。

********

受付で検温して、37度以上あると面会が不可になった。
私の平熱は、37度~37.5度。

これが9年以上ずっと平熱状態なのだと
説明はしたけれど、
「申し訳ありません。ご理解ください。」

・・・はい、理解しています。
病院側も苦渋の選択なのだ、
入院患者さんを守るために。

自分が知らないうちに感染している事が、
誰であっても懸念される現状、
感染を防ぐために出来る策は全て講じるのが正しい選択。

********

分かってはいても、理解してはいても、
心は不安と悲しみでいっぱいになる。

誰が悪いのでもない。
これは、仕方が無いこと。

でも、そんな分別とは別のところで
正直な気持ちが
とりとめなく溢れてくるのも事実。

母はさみしがり屋だから、
私たちとふれあう時間が
突然なくなってしまったら・・・

ある意味、一番大切なライフラインを
断たれたような感じがする。

*******

毎日、家族みんなのエネルギーを抱えて
母に届けていた。

目には見えなくても、
この思いが母の命にきっと生かされると信じて。

この新型コロナ騒動が一刻も早く収束して
また面会が再開されることを心から祈る。
強く願う。切望する。

その日まで、母に頑張って欲しい。
辛いことを強いているのかも知れない、
これは、家族のワガママかも。

毎日、呪文のように唱えている。

お母様の治癒力と回復力と免疫力と体力が
どんどん向上しますように。
この思いが、届きますように。


私は陰謀論者ではないけれど、
この新型コロナの発生が、
自然なものでなく
何らかの人為的操作があるなら

関わったもの達に、
その行いに相応しい報いがあるようにと・・・思う。

天災同様、憤りのぶつけようのない事象なんだけど、
何か理不尽に感じる。

マスクないし、
トイレットペーパー少ないし、
外出しづらいし、
ストレス溜まりがちだし、
不安もあるし、

・・・でも、まあ、
みんながそれぞれ出来る事を頑張って、
何とか乗り越えていこう!と、
家族で励ましあって過ごしていた。

そんな中、一番大事な時間を奪われた。

母との時間は、
私たちに心の準備をさせてくれるために
母が作ってくれていた奇跡。
そして、母の命を支える時間でもあったと思う。

*******

でも、仕方無いものは仕方無い。
仕方ないなりに、しぶとく、出来る事をやっていこう。

自分の体温が37度以下に、
一時的にでもなるように神に祈りつつ
受付の検温を何とかクリアして、母に会いに行きたい。

今日と明日、体温の低そうな頃を見計らって・・・

そして、
まったく非科学的で、論理的でもないが、
そんなもの百も承知で、

離れていても、
母を思う気持ちとエネルギーだけは母に届くように

何らかの・・・呪詛、違う・・・ 
おまじない・・・違うな 呪文・・・いや~

ま、何でも良いから、
なんか こう、母のいる場所とつながって

家族の祈りとエネルギーが、
バンバン母に届くような
そういう、システムが出来るように・・・

荒唐無稽な妄想でも何でも、思い込みでも何でも、
もう、ホント、何だっていい!
届け!命のエネルギー。

毎日、毎日、家族みんなでその回復を、
穏やかな時間が続くことを強く願ってる。

面会が再開されるその日が
1分でも1秒でも早く来ますように。

*******

生きている時間の儚さと大切さを
思い出させたのかも知れないけど…

新型コロナ、もう、いい、いらない。

************

千々に乱れる心の表現として選んだのに、
美味しそう…と思う我が身のなさけなさ

2020/03/26

サラッと、10年ひと昔

先ほど気がついたが、
全く家族が見ていない記事があるじゃないか!

家族のくせに、何やってんだ?
誰のおかげでここまで大きくなれたと…

いや、いいんだ。

まあ、見て何の御利益があるワケでもないけれど、
見なかったら、軽くバチあててやる

・・・くらいの心意気。

ブログを始めて10年の区切りに、
へろっと書いた渾身の・・・違うな、
満身創痍の・・・違うぞ、
真面目に、片手間に、取り組んだ体の・・・
もう、いい。

とにかく、あれこれ思いながらも
そういった思い出の中に
かすかに残っていたネガティブなものを
この機会にドサッとうっちゃり捨てるために書いた。

だから心を込めて、且つサラッと読んで欲しい(笑)、この3件。

10年ひと昔:1 始めたのは2010年

10年ひと昔:2 環境激変2011年~2019年

10年ひと昔:3 ・・・気が向いたら。

あ、ついでに、こっちもね。

新たなる脅威に直面し、思い出す2011年

以上、業務連絡。

ご覧の通り、私は元気で頑張っています。
色々あるけど、それはみんなも同じだよね。

今ある状況の中で、
お互いが最善を尽くしていきましょう!


※10年前、まだ動ける頃の母と一緒に家族で行った『海響館』
空飛ぶペンギンたち。



2020/03/25

とりあえず与えられている資源

大富豪は、自分の財産・資産を正確に把握できない。
把握しきれる程度の資産では大富豪とは呼べない。

・・・ま、そういう、ちょっと14万8000光年な話はおいといて・・・

***

誰にでもとりあえず与えられている資源があるらしい。

それが『時間』であることは、うっすら理解できる。

一日、24時間。

有り難いことに、ずいぶんと・・・結構・・・長い間・・・頂戴してきている。
でも、眠っている間は意志を持って活用することは難しいので

健康維持のための平均的睡眠時間として、
ここから7時間を差し引く事とする

一日、17時間。
これが、自分で考えて、決定して、使うことが出来る『資源』

しかし、
放っておくと どんどんバンバン消えていく、
自由気ままでお茶目な資源。

返せ~!戻せ~!と地団駄踏んでも、
時間が戻ってきたためしはない。

でも、生きている限りは、
気がつこうがつくまいが、
毎日、確実に所有している資源、資産、

それが「時間」 …ありがたや。

と、言うわけで・・・ 
経済、特に資産形成分野の知識が真っ暗闇の私でも、
ギリギリで取り扱い可能なのは、この時間資源。

・・・ここで使っている基本的な単語の意味も
ろくに理解はしていない。
雰囲気で使ってみてるだけ。

それはさておき、
時間を何かに使うと言うことは、
持っている中から支払う、お金と同じ。

支払うと消えてしまうのもお金と同じなら、 
その支払いが、
消費・浪費・投資のどれかにあたるのも同じはず。

時間の消費、時間の浪費、時間の投資。

あ~ 何となく良い感じなのは…『時間の投資』かなあ?

消費も浪費も、
バッサリ消えてしまう感じだけど、

投資だったら、
何となくワンチャン(笑)何かが戻ってきそうな。

「投資にはリスクがつきもの」
とかって、溢れるほどよく聞くし、
何となく恐いイメージがあるけど、

時間投資のリスクって何だろう?

う~ん・・・
投入先と投入量と投入期間を間違えた場合、

あんまり良いことなしに、
歳をだけとってしまって、
後悔するとか・・・
あ、やだな、そういうパターン orz  

だけど、
「あ、こりゃあマズイ」と気がつけば、

修正も、変更も、改善も、
自分の決意一つで瞬間的に出来る(?)

株式とか、FXとか、仮想通貨とか、
もう、恐ろしいほどサッパリわからないけれど、

多分、けっこうな元手と知識とスキルが必要そうで、

そんな、ハードルの高そうなものには
絶対に手は出せないけど、

時間ならば、なんとかなりそうだ。

時間資源を何に投入するかっていうのは、
自分で考えて決められて、しかも、かなりリスクが低く、
ちょっとした努力でコントロール可能。


場合によっては、
なかなか素敵なリターンがあるかも知れない、
・・・一番身近な投資。

考えてみれば、私も時間を投資した。
ちょっとしたゆるい習慣のために(笑)※注1

私もなんちゃって投資家だ、時間の。
しかも嬉しいリターンはそこそこあって、
それは今も継続中。

時間って、結構お得な資源というか、
活用しないのはもったいない。

自分の17時間を何に投入(投資)するか・・・
そのリターンが、いつ、どんな形で訪れるか・・・

あれこれ妄想を巡らせながら、
本日も『時間の投資家』初心者の一日は始まる


※注1:参考  自分の「やる気」なんて信じちゃダメ。


何か思索する雰囲気を醸し出したいらしい『時間の投資家』の図


2020/03/24

地味にアウトプットを楽しめたら嬉しい 2020年


ブログ自体を始めたのは10年くらい前、
本当にマイペースで
のらりくらりと書いていた。

最初は自分のためのメモみたいなもので、
日記ですらない落書きの場所。

これは今でも変わりない。

2011年の3.11東日本大震災をきっかけに、
様々な情報が小さな脳内をぶんぶん行き交って、
更新頻度が一時的にぶわっと上がった。

その後、そういった情報交換の場所での関わりから
良いこともあったけど、
嬉しくないこともそれなりにあったりして、

それがブログ更新から遠ざかる理由にもなったかも知れない。

顔の見えないままの関わりは、
ちょっとでもバイアスがかかると
意外にしんどいものとなる。

しかし、年月の流れには実に素晴らしい効果がある。

当時は「何故、何の根拠で上から目線?」
と思った来訪者のコメントも、

「そりゃあ価値観の違いってヤツだよね」
で理解できるし、

全くの見当違いだった理不尽な干渉に対しても
「とんでもない勘違いって、意外と誰にでもあるんだねえ」
で処理できる。

年齢を重ねると言うことは、
「許せない」ものがどんどん減って、
自由になるって事でもあるのね。

もしくは、
心のスケールの目盛りが大雑把になって
多少のことは誤差の範囲として
受け入れられるようになってくるのかな。

確かに、年若い方が
「許せない!」ってことは多いのかも知れない。

人の数だけ正義はある、なんてことは考えないから。

されてもいない支配から
無理やり卒業しようとするのは、
自分だけを見ていれば良い頃の、小さな自由。

見渡せる世界が広がれば、
もっと大きくて、ワクワクするような、
自由のある場所がいっぱいあって

そこに行くために自分に足りないものと、
それを獲得には、あれこれするべき事がある
・・・と気がつく。

自分と、自分以外との気持ちの良い距離と
社会が円滑に機能するための、一定のルールの中で、

自分がやりたい事を見つけて、
時間を注ぎ込んでいくのは、
そして、それによって色々変化していくのは
本当に楽しいと思う。

********

プライベートな状況の様々な変化で、
首都圏の隅っこと本州の端っこを
頻繁に行き来するようになり、

自分ではどうにも出来ない理由により環境が激変、
やりたい事に割くための時間は、
小さなすき間をかき集めて作っていた。

要介護5の在宅介護というのは、
何年も続く乳児期の育児と同じ。
36524時間、いつ何があっても対応する。

この頃、何度救急車にお世話になっただろう。
SNSどころか、ブログだって
単なる時間の無駄としか思えず、
どんどん遠ざかった。

何度かの危険な状態の後、
在宅ではカバーするのが難しくなってきた頃、
救急車で運ばれてそのまま入院となった。

期限いっぱいの3ヶ月が終わる頃、
長期入院可能な病院に空きが出て、転院。

今度は毎日病院に通う必要は出来たけれど、
医療機関の中にいるのだから
緊急時にパニックにならなくて済む。
2017年は、こうして少しずつ変化が始まっていた年。

2018年は、
ラジオ体操にハマった夏を経て、
緩い運動を習慣化させた。
この、ゆるい運動習慣は形を少し変えて
今も続いている。

そして、秋の終わり頃に大量のデータがぶっ飛んで、
書きためていた物が
きれいさっぱり異次元の彼方へ・・・
ある意味、これも激動の一年だったorz

2019年は、
その前年末あたりから、
自分が行動しやすいように環境を変化させるため、
あれやこれや試行錯誤を繰り返し、新しい習慣も増え、
効果のあったものは改善しつつ定着させていった。

結果として、
コントロール可能な範囲が多少は増えたけど、
相変わらず家族の状況に右往左往していて・・・
気がつけば夏が終わっていたくらい、
高速で過ぎ去っていた。
  
そして、2020年。

おお、10年もの月日が経ったんだねぇと
多少の感慨も胸に、久々にあちこち見てみたら・・・

リンクは切れまくっているし、
ほんっとに更新らしい更新なんてほとんどなかった。

せっかく10年目だし(?)
今年はもうちょっとマメに
更新してみようじゃないか・・・気が向いたら。

切れているリンクなどは、時々対処しながら
今年は地味にアウトプットを、楽しんでみようと思う。

何となく、何かの流れが
ちょっとずつ変わってきている。

そりゃ、生きているモノで変わらないものなんてない。
人だって、自然だって、時間だって。

始まりがあれば、終わりだってある。

終わりがあると知っているから、
『今』が大事で愛おしい。

変化を楽しみながら、
毎日を丁寧に味わっていきたい。

離ればなれで暮らしている家族、
それぞれの場所で頑張っている。

は元気でいるよって、
このブログの更新で伝えられる。

今は、必要最低限しか外(人混みの中)には
出ないように心掛けている。

私より、治癒力・回復力・免疫力・体力の強くない家族たちに、
外から困った何かを持ち込まないように