手作り乳酸菌ツイートから


手作りの乳酸菌を広く紹介された、
飯山一郎さんと言う方の2011年~2012年のツイートからのまとめです。

2011年5月17日に初めて飯山さんとスカイプでお話し、
その後、許可をいただいてツイートをまとめてブログに載せてきました。
手作り乳酸菌が、多くの方の希望のきっかけになればいいなと
…そんな気持ちから始めました。

今ではもう、沢山の方が普通に
手作り乳酸菌の活用をやっていらっしゃいますし、
それらについてまとめたブログもツイートも沢山あります。

私などがご紹介しなくても情報は十分に流通しています。
その取捨選択については、個人の自由です。

ですから、ここは過去のまとめ倉庫のような感じです。

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2020.9.26 追記
手作り乳酸菌のツイートを引用させて頂いていた飯山一郎さんが
2年も前に鬼籍に入られていたことを知りました。
とてもお元気な方だったので、大変驚きました。
311の後、様々な情報が飛び交う混乱期に、
多くの方々に希望の種子を届け、元気づけてくださった方でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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※それぞれ、タイトルをクリックすると記事にとびます

2012年↑ ↑ ↑


2011年 ↓ ↓ ↓



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私自身は、乳酸菌の培養と活用は、
ご飯を炊くのと同じように、既に、ごくふつうの生活の風景です。

料理に使ったり、豆乳ヨーグルトを作ったり、
お掃除に使ったり、ベランダの草花にやったり、乳酸菌風呂にしたり。

1年も続けていますが、家族そろって全員元気です。
お腹を壊す者もいませんし、不調を訴えるものもいません。

ちなみに、家族の内2人が喘息持ちとアトピー持ちでしたが…
昨年から薬が不要になりました。
偶然かも知れませんから、それを効果とはしませんが。
…本人が楽になるなら、それでいいので。


先日、ツイッターで

「放射能を過剰に恐れる人たちが、
より危険な米のとぎ汁乳酸菌やEMに引き込まれるのは不思議です。」

なんてツイートを見かけたのですが…
良く見れば、宣伝用ボットに悪用されて大量コピーされた私のツイートを
さらに悪用して乳酸菌のネガティブキャンペーンをぶち上げた方でした。

詳細は 『悪質さに便乗する、さらなる悪質』の風景

 

多分こーゆー方は、
様々な誇張や捏造を何の罪悪感もなく出来る方なのだと思います。

その周辺の方々も、同じ様子で、
いろいろな『専門家』のご意見を寄せ集め、
自ら検証する事無しに、公正な検査機関に検査を依頼する事無しに
予め用意された結論ありきの展開を繰り広げられています。
 

「放射能より危険な・・・」

と言うフレーズに、なんだか執念と言うか、怨念の様なものを感じました。

チェルノブイリの映像を見た私は、
放射能より危険な物と言ったら
化学兵器とか、細菌兵器とか、そういうものしか浮かびませんでした。
「へえ、そっか、放射能より危険ななものもあるんだねえ」って感じです。

しかも、それを全国の普通のご家庭の主婦たちが
実験施設もないところで、タダでどんどん作っちゃうんだから、
放射能より危険なモノ(兵器)が安価に欲しいであろう各国の軍隊から
ヘッドハンティングが来ちゃうかもしれませんね。

放射能以上の危険な兵器を、平気で毎日作っているのか…私(遠い目)

しかも、食べてるは飲んでるは。。。
これはもう、歩く最終兵器人間ですね。
(ちなみに、私は「EM」って知りません)


でも、あそこまでの執念があれば、
もっと出来る事もあるんじゃないかとも思うのですが…

まあ、原発や東電と対峙するよりは、一般人を批判してる方が楽でしょうね。

それにしても、本当に、ご苦労さまです。
いえ、決して揶揄しているのではありません。 
上手にウソを紛れ込ませて『まとめ』を作るのはきっと大変だと思います。 

人のツイートを勝手にコピー&悪用した人間の仕事を、
さらに悪用してネガティブ・キャンペーンを展開するなんて
普通は考えつきませんよね。

※詳細は 『悪質さに便乗する、さらなる悪質』の風景



人様が信じている事を、軽々に批判など出来ません。
ですから、みなさん自分が信じるものを自分でやられたら良いわけです。

良いと思うものは取り入れ、そうでないものはスル―する。
この判断は個人の自由です。結果も自己責任です。 

ただ、正直なところを一つだけ言えば、
私は自分の作った乳酸菌よりも、
福島の原発事故で日本を汚染している『放射能』の方がちょっとコワイです。

 

さて、手作り乳酸菌生活については、
私にとっては個人的な事で、かつ、フツーの事なので 
これからも、自分のペースで活用していくと思います。

そんなに大騒ぎするほどの事ではありません。

これは余談ですが、

異なる原材料から培養した2種類の手作り乳酸菌液を用いて
作られた2種類の豆乳ヨーグルトについて、
ある方が検査機関に分析を依頼されました。

結果は・・・残念ながらここでは詳細はお伝えはできません。
その方がそれなりの費用を支払って入手されたデータですから。 

ただ、その方から結果を教えて頂いた私は
安心して手作り乳酸菌から豆乳ヨーグルトを作っています。

 

上記の検査結果ですが、
豆乳ヨーグルト内の乳酸菌の数について
実はちょっと面白い事が分かりました。

材料によって、乳酸菌の量がものすごく違うようです。
驚きました!

やっぱり、ちゃんと検査してもらうのって気持ちいいです(笑)
憶測や予想ではなく、数字でちゃんと示されているのですから。





私のブログについて、
ずい分前ですが、全くの事実無根の中傷をされた事がありました。

でも、真実と言うものはいつか明らかになるものだと思って
時が解決するのを待っているうちに…
アホらしくなってきて、考えるのをやめてしまいました。

それくらい真実とはかけ離れた中傷でしたし、
そんな不毛な勘違いにつきあう余裕はない状況もありました。

あまりに的外れ過ぎて、そしてあまりにこじつけが酷くて
どんな疑心暗鬼を発揮したらそんな展開に?と不思議でした。

色々な方のアドバイスを受けて、
中傷文の画像による保存など、
出来る事はひととおりやってもらいましたが、
私より、家族の方が憤りも悲しみも大きかったようです。

いるんですね。
本当に、驚くようなとんでもない勘違いをする人って。

勘違いにさらに思い込みが重なると、他人が修正するのはとても難しいです。
本人に気づいてもらうしかありません。

でも、気づかないなら、それはそれで、その人の問題だし
私に出来る事は、
考えないようにする事くらいしかもう残っていませんでした。

その方がちゃんと自分で調べたり確認したりする方なら
そんな勘違いは無かったんだろうなと思います。

でも、『12人の優しい日本人』(三谷幸喜原作)によりますと、
 「勘違いと思い込み、これはオバチャンの2大要素じゃありませんか!」
…とのことなので、
私も、誰かを思い込みで勝手に決めつけたり責めたりしないように
気をつけなくてはと思います。

まあ、普通の感覚の人はしないんですけどね、
憶測だけで決めつけて誹謗中傷するなんて。

よっぽど疑心暗鬼の強い人か、自分の判断に自信があるのか、
そうでなければ、何か歪曲されたり捏造された情報でも聞いて、
確認もしないでまるっと信じ込んだのかも知れませんね。

お気の毒ですが、本当に笑えるくらいの全くの勘違いでした。

ネットという、顔の見えない世界ではいろんな事が起こるものです。

かつて参加していたネット上のコミュニティで
個人情報をさらされた上に根も葉もない誹謗中傷をされ、
警察に被害届を出した方々の話も聞きました。
本当に常識を疑うような恐ろしい話です。

でも、実際に自分が事実無根の中傷をされてみて分かりました。

そういう信じられない様な事も起こりうるのです。
ネット上の情報が玉石混交であるように、関わる人も本当に様々です。

だからこそ、最低限のマナーとルールを守って、
敬意をはらい、大人の距離感を保つことが大切なのだと思います。

どんなに有名でも、知識や才能があっても、影響力がある人でも、
勘違いは勘違い、間違いは間違いです。

それを無理やり正当化しようとしても、
こちらから見れば思い込みの自己満足でしかなく、
それだけに、奇妙に歪められた事実には呆れるしかありませんでした。

いつか同じ様な思いを誰かにさせられなければ、
一生気がつかれないかも知れませんが
事実無根の思い込みで中傷されたり、罵倒されたりなどと言う経験は
やっぱり誰にもして欲しくないです。

辛かったり悲しかったり悔しかったりもしましたが、
真実でない事で何を言われても、
自分が気にしさえしなければ良いのです。





時が流れて、自分が書きとめておいた気持ちにも変化が起こります。

その変化は自然なものだけど、
もしかしたらいつか自分の心が迷子になった時に
何かの役に立つかもしれないので、また書きとめておきます。



誰かの過ちが、その人の弱さの表れだとしたら
それを許せないのは、私の弱さの表れなんだと思えばいいかなと。

年齢とか関係なく、年上でも、年下でも、大人でも、子どもでも
人は生きてきた過程でいろんなものを内側に育てています。

自分の目に着いた事が、その人のすべてではありません。
その人の一部かもしれませんが全部ではないのです。
自分がそうであるように、人もすべてを説明なんてしないでしょう。

だから、人の中に悪意を探すのはあまり意味がない気がします。
と言うより、時間が勿体ないです。

被害者や加害者の構図を勝手に作るのは、ありがちな行為だけど
だからと言って、それが正しいかどうかは別の問題です。

勝手に張り付けられたレッテルに動揺しても仕方ないのです。

それよりも、
知っている事は知っていると言い、
知らない事は知らないと言えるような人でいたい。

空気に飲まれて、場に流されて、
NoをYesと言ってしまわない人でありたい。

自分で分かることしか言えないから。
人の事は分からないから、
憶測で他人を語る事はしたくないのです。

選択は自分のもの。
評価は人のもの。 
来る人は来る、去る人は去る。

他人を攻撃するほどに思いつめている人には
どんな言葉も届きにくいです。

最初から決めつけて疑ってかかっている人との対話は、
シャッターおろしたままで話しているのと同じ感じ。

伝わらなくても、
焦ったり腹を立てたりしても仕方ないなと思います。

尽くせる誠意を尽くしたら、あとは運の領域かもしれない。

人への評価や批判は、自分の価値基準の表明みたいなものだから、
やりたい人が自由にやればよいのだと思います。

ただし、
あまりに的外れで無責任なのは勘弁してもらいたいなって。

人に分からないことなんていっぱいあるんだから。

とにかく今できる事をやるってのが、
私には大事なのです。

出来ない事の方が多いんだもの。
分からない事の方が多いんだもの。
ちょっとずつちょっとずつ、学んでいくしかないのです。

人の事は人に任せて、
自分がやる事をしっかりやる方が私には自然で心地よい。

人の勘違いに振り回されてる暇があったら、
やりたいことはいっぱいあるぞと思っています。