2011/08/09

幸せのかたち


のコメントに書いた言葉に自分でちょっと心が揺れた。

自分が書いた言葉を、なんてことない時間の経過が
誰のものでもない、ただの言葉に変えることもあるんだね。

元気でいよう
10年後も、20年後も、30年後も、40年後も、50年後も。
神様、私が大事な人を誰も忘れませんように。
神様、私が大事な人に忘れられても、その人を愛し続けられますように。

『生々流転』と名付けたブログ…生きていれば変わらないものなどない。
だから、その変化が できることなら
成長や進化の方向を向いていますように…そんなことを考えていた。

悲しい変化を経験している。愛しい人が私を忘れてしまう。
仕方がないことなのかもしれないけど、悲しい気持ちは止められない。

認知症・・・

誰が悪いわけでもないよ。生きていてくれたらいい。
でも、出来る事なら、
私は、いま私がしているような思いを、愛する人達にさせたくないなぁ

一緒に歩いてきた年月、懐かしい思い出、楽しい記憶、共に乗り越えた悲しみ、
全部消えてしまったんだろうか?
それとも、今は一時的に神様にあずけてあるんだろうか?

自分の夢を叶えることが、望む未来を手にすることが、幸せなんだと思ってきた。
勿論、今だってそれは間違ってはいないと思う。
でも、幸せってものは、ひとりでは形作れないのかも知れないね。

大事な人達と一緒に生きていく。
その中の、小さな出来事のひとつひとつが積み重なって、幸せの記憶になっていく。

失ってから気付くものは多いって、昔からよく言われるけど。
こんな風に、手のひらからこぼれるように消えていくとは思わなかった。

でも、まだ、きっと、してあげられる事はたくさんあるんだよね。

それから、
私が同じ思いを誰かにさせないように…出来る事もきっと沢山ある。
元気でいよう、心も身体も。
私が私の幸せのかたちを、もう一度ゼロからでも
ううん、マイナスからでも作っていけるような、そんな勇気と元気を忘れないように。

この一日一日が、愛しい人達との、大切な、かけがえのない時間なんだね。