2011/07/23

やまない雨はないけれど・・・

慣れとは怖いもので… あの日以来4ヶ月半、

どう考えても、
原発事故と放射線に関しては明るい材料が見当たらないのに
こうして、何事もなかったように今日も日常が展開していく。

常に最悪の状況の中で、できる事を探して手探りするばかりの日々。
巧妙に隠された報道、出てこない真実、見えてこない現実。

目に見えなければ意識できないんだろうか?
では、知識や経験や想像力の意味って何?

『慣れ』というのは、自分の精神を守る機能なのかもしれないけど
行き過ぎてしまえば感覚を麻痺させてしまう。

気持ちだけでやり過ごせるレベルの問題ではない場合、
問題への対処・解決に致命的な遅れを引き起こす時もある。

こうしている間にも、時々刻々、どんどん降ってくる災厄
どんどん拡大する被害、次々と壊されていく様々な幸せ。

目に見えるようになる頃には、もう遅いと思う・・・


この喉元までつきつけられた危機が、真実、尋常でないからこそ
不気味なまでに、みな日常を装っているのではないか?

小さな個人の力でできる事を懸命に探してやるしかないのは、
民主主義の文明法治国家として、何とも情けなく、腹立たしい。

愛する国、日本が壊されていくのを
このまま見ていることしかできないのか?

やまない雨はない、雨は自然現象だから
でも、今、降ってくる放射線はいつやむのか もう、誰にも分からない。
降ってしまったものは、地球上を回り続け、
見えないままに形を変えて、気づかぬまま『命』のそばに忍びよる

それでも、生きていくために出来る事を、
毎日毎日積み重ねるしかない。

誰も責任なんか取れない、取らせることもできない。

でも、絶望してたら1歩も前へは進めない。
だから悔しくても哀しくても、前を向いてやっていくしかない。

今は、自分に出来ることで家族を守るしかない。