2011/12/31

Twitterまとめ 37 『Noriko』

2011年07月29日(金)

「できないっ!」と、思った瞬間に出来なくなる気がする。

「精神論はイヤなんだよね。
 頑張ればできるとか、気力で乗り越えられるとか」
 
って言う人がいた。
 
人間はなかなか面白い作りになってるから、
『自己暗示』を利用しない手は無いよ。
 自分で自分の限界を勝手に決めたら勿体ない。

私の場合、できないかもな~と、ちょこっと思いかけてても
「何いってんのよ、出来るから、大丈夫!ほら出来るって!
出来るに決まってるから出来るんだって!」などと、
根拠のないままにw笑い飛ばすように『言葉』にして
口から出してると元気になってその気になる。

『Noriko』 http://t.co/yjNxUJ1 
どんな理不尽も不条理も、壊せないもの奪えないもの… 

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2011年7月29日の、私のツイートのまとめ。
 
妹の誕生日が7月31日で、
その日が近づくと、毎年いろんな事を考える。

『Noriko』は、妹の名前であり 
私にとっての究極の『復活の呪文』かもしれない。
 
どんなに辛く思える時でも、
あの人生よりはまだまだ恵まれていて幸せだから、
弱音を吐いたら恥ずかしいと思う。

たった1本の予防接種のせいで… 
あんなに元気だった子が
わずか1歳半で、しゃべれなくなり、食べられなくなり、
麻痺と痙攣に苦しめられる日々。

それでも、
28歳で天に召される日まで、懸命に生き抜いてくれた。
何度も危篤状態を乗り越えて、家族と共に過ごしてくれた。

あの無垢な笑顔が忘れられない。

身体だけ大人になり、心は赤ちゃんのまま
でも、家族みんなが心から愛した。

何もできなくてもいい、生きていてくれただけで奇跡だと思った。

外の世界を知らない。
綺麗なものも、美味しいものも、人を好きになる事も。 
家族と病院があの子の世界のすべてだった。

私は、この2歳年下の妹の世話を出来る事を誇りに思っていた。

小学校に上がる前から、布おむつを毎日のように手洗いし
流動食用のミルクを作って飲ませた。
おぶって庭を散歩させ、話しかけ、歌いかけ、
お風呂に入れ、身体をさすって添い寝した。

家族全員で支えなければ、
きっとあれほどまでには長生きできなかった。

しばらく小児病棟に入院していたが、
当時一緒だった子ども達はみんなそれから数年のうちに亡くなっていた。
何と切ない事だろう…。

そんな病人が家族にいると、
何処から聞きつけてくるのか、奇妙な人達がくる。

本人たちは善意かもしれないが、
したり顔で色々な事を、何故か上から目線で言ってくる彼らが
私はどうしても好きになれず、子ども心に哀れとさえ思っていた。

誰かの救いになるならそれでもいいのだろうけど、
少なくとも自分の心は自分にしか救えない。

他人の家の問題に喧しく口を差し挟む暇があったら、
もっと自分を磨いて、人の不愉快の素にならぬよう、
ちゃんと『大人』を務めて欲しいと思っていた。

…子どもだった私は、今よりもっと率直だったから。

でも、大人と思われる年齢のその人達にも、
悲しみや苦しみや、抱えているものが沢山あったのだろう。

今ならもう少し、
温かい気持ちで対応できるかもしれない。

命は儚いけれど、だからこそ尊い。
誰でもいつかは、遠い場所へいく日がくるのだ。

あの、最期の時に、
この腕の中で、次第に冷たくなっていく愛しい命に、
ただただ泣くしかなかった。

それでも、苦しみから解放されたんだと、
そう思うしかなかった。

生きている人間が、
いま与えられている時間がどれほど大切で、
無駄にしては勿体ないかと言う事を
えぐられるように思い出す瞬間があるとしたら
…誰か、大切な人の命が失われた時かもしれない。

私は妹の名前をつぶやく時、いつも考える。
「私はちゃんと生きてる?出来る事を一生懸命やってる?」

妹の存在を知る人は少ない。
28年の人生は、まるで 
知っている人が共通してみた『夢』みたいだ

でも、辛い時や哀しい時に、
いつも心の中で私を強く支えてくれるのは、その妹の命・人生だ。

意味の無い人生なんてない。…そう信じている。

だから、妹の命と人生に意味を込められるのは、
残された私や、もう一人の妹の生き方なんだろうと思う。

だから、きっと幸せになる。
そのために自分に出来る事をやる。

妹に、私のまわりの沢山の人に、心から感謝している。
この1年の終わりの日に、
命の意味と、そして生き方というものを、胸の奥深くでそっと確認してみる。