2017/06/19

『小さい白いにわとり』

『小さい白いにわとり』


小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 蒔きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 蒔きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 刈りますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 刈りました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が 粉に ひきますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで 粉に ひきました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が パンに 焼きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで パンに 焼きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「このパン 誰が 食べますか。」

豚は 「食べる。」 と言いました。
猫も 「食べる。」 と言いました。
犬も 「食べる。」 と言いました。












もともとは、ウクライナの民謡からのお話で、

昔、小学校の教科書にも載っていたお話らしいです。


この後、小さい白いにわとりは、豚や猫や犬に何と言ったのかな?と

子ども達に聞いたのかも知れないし、

お話を読んで、どう思いましたか?と聞いたかも知れませんが


お話が、プツンとここで終わっていると

いろんな事を考える楽しみがありますねぇ。









大人がこのお話を読むと、子ども達よりももっともっと

あれやこれや考えるでしょう(笑)


小さい白いにわとりは、みんなにパンを分けてあげたでしょうか?

小さい白いにわとりは、みんなに何か言ったでしょうか?

小さい白いにわとりは、どんな気持ちでいるでしょうか?

豚や犬や猫は、小さい白いにわとりをどう思っているでしょうか?


自分を誰に当てはめるかによっても、

色々変わって来るかも知れません。



これは、本当に面白い!

身近な人間関係、政治、宗教、様々な視点での『小さい白いにわとり』を

親しい人と、コーヒーでも飲みながら話すのも楽しそうです。

2017/06/10

適切な量と質でしゃべる

人と人との関わりにおいて

話すことでも、書くことでも、

伝え合う方法が「言語」であるならば



その言葉と表現の選択は、

とても大切なことなんだと


しみじみ感じることが多くなった・・・え?今頃?(笑)


いやいや、

垂れ流すように多くしゃべるより、

適切な量と質でしゃべる方が、

時間的にも精神的にも、

お互いにとって有益であるのは間違いないし、


SNSで文字での発言の時にも、

何を伝えたいかを見失うような文にならないよう

出来るだけ簡略に、でも要点は押さえて…と

ない頭で、それでも真面目に考える(笑)



で、その為に必要なこと、

語彙力・表現力などの知識は当たり前だけど、

伝える相手への敬意を意識すること・・・これがけっこう大事。



自分の内側から外に向けて出した言葉は

ある意味、自分の子ども達みたいなもので

手離したはずの自分にも、その言葉の影響が出る気がする。



堅苦しく考えすぎることも無いけれど

過去の自分の言葉に救われることもある。



言葉は、大切にしたいと思う。

2017/06/05

5年後の『ノイズリダクション』


5年前の、2012年6月5日のブログ

『ノイズリダクション』

http://saryuju-saryuju.blogspot.jp/2012/06/blog-post_05.html


ノイズリダクションとは、

雑音成分を低減させること。

または、

雑音と見なされる成分を除去する処理。


お片付、整理整頓、または断捨離?の3大障壁が
  • 「勿体ない」
  • 「いつか役に立つかも」
  • 「思い出」


ならば、

心のノイズリダクションの3大障壁は、さしずめ

  • 「腹立たしい」
  • 「心が傷ついた」
  • 「許せない」

ってとこかな?

でも、その真っ只中にいる時は「大問題」でも、

未来の自分から見れば・・・

いつか時間が解決してしまうような一時的な感情は

費やす時間、自分の人生の残り時間が勿体ない。


他人に引き起こされた感情なんて、

実態のないモヤのようなもの。

ふーっと吹き飛ばしたらそれで終わり。


大事な命の時間は、

もっと心地良いもの、前向きなものに使いたい。



・・・ってなことを

5年前に書いていたね(笑)



そして今の、5年後の私は

この日常生活のノイズリダクションを

普通に毎日やっている(笑)


いや~、鈍感になったんだか、強かになったんだかwww


いずれにしても、とても楽になりましたよ。


そして、

今の自分が、5年前に辛かったりした時を

ちょっと掘り起こしてみたら・・・



他人が自分をどう思っていたって、

それは、その人のものであって、単なる思い込み(笑)

だから

他人の目に映ってる自分(本当の自分かどうかもアヤシイもの)のことで

腹を立てたり、悲しんだり、苦しんだり、

あれやこれやと、どうにもならない心配なんか

する必要など、ま~~~~ったくないっ。


って結論に、0.3秒ぐらいで到達しました。


時間の節約も出来るようになって、非常に喜ばしい!

その分、物理的なお片づけ、整理整頓に回そう。

梅雨が来る前に(笑)


2017/06/04

「元気のやり取り」についてぼーっと考える

自分が元気でも

家族が辛そうだと・・・辛い


元気を分け合えたらどんなにいいだろう


余った元気を、元気じゃない人に

プレゼントできたら、本当にいいなあと思う


そしたら、元気でいることが

きっと、もっともっと嬉しくて楽しい














でも、もしかしたら いつか

そんなことが出来る日が来るかも知れない


いや、もしかしたら

気がついていないだけで、人間は、

少しはそんなことが、出来ているのかも知れない














だったら、

受け取る側がもらいやすい元気がいいな

無理やりの、煩わしくなるような元気じゃなくて(笑)


自分が元気でいることが、

それだけで誰かの役に立つような

そんな嬉しく楽しくワクワクするようなことに

もし単に気づいてないだけだったとしたら・・・


すごく勿体無い!って気持ちになるなあ










う~ん、だったら

いっそのこと、

それが可能であるってのを

心の中で大前提にしちゃって


自分の中の、元気をあげるという気持ちと

相手の中の、元気をもらっちゃうという気持ちが

バッチリ合致したら

元気のやりとりが可能になる!って・・・


そういうの、あったらいいなあ。















元気ってのは

生きる力とか、何かのエネルギーみたいなものだろうから


もしかしたら、目には見えなくても

ものすごく細かい粒子みたいなものだとしたら


もし、それをやりとりできたら・・・

って考えると、本当にワクワクする。










自然は惜しみないから、大地とか植物とか、

きっとどんどん元気の粒子をくれるだろう。


それを受け取って、

必要なところへ渡すことが可能なら


渡す人も、受け取る人も、

自分の中で必要な形に変えたり

別の何かに育てたり、進化させたりとか


もう、夢と言うか妄想はどんどんふくらむ(笑)




家事・育児・介護・お仕事・・・

地に足つけたこの日常の中で、

自分の残り時間を考えた時に


まだまだ、出来ることをやれていないことに

少し焦ったり、苛立ったり、寂しく思ったりする









きっとこれは誰でもが、

いつかどこかで感じたりするんだろう


でも、まだ自分が見送らなくてはならない人がいて

でも、出来る限り幸せに長生きして欲しくて


・・・もがく(笑)


元気のやり取りが出来たらどんなに良いだろう。

だから、

元気のやり取りが出来ると信じて


大地や植物、海も山も空からも、

お日様からもお月様からもお星様からも

無限に、元気を受け取れる自分でいようと思う。


そして、

受け取るほうにとって、心地の良い質と形の元気になるように

うにゃうにゃと頑張ってみる自分になろうと思う。



今のところ、私の元気は、

原則、家族の元気のスタート地点になっているから

年間通して、概ね安定的に元気でいられるように心掛けるかー

2017/06/03

自分を自分で絶賛肯定中


見えないものを説明するのは難しい

心の中のことを説明するのは難しい


でも、言葉にして形にしてみたら

何かしら伝わるものはきっとある。


形にして残すことで、

未来の自分の役に立つこともある。

(これは、経験済み)










これまで生きてきた中で経験したこと、

それによって感じたこと、

思ったこと、

そこから考えたこと、

それをもとに行動したこと


それがみな、今の自分を創っている。











これは、私の持つ、私の形。


違法行為だったり、

良識を大きく逸脱したり、

公序良俗に反したりしない限りは、

これを否定することは、

どうしたって出来ないから・・・


もう、日々、自分を自分で絶賛肯定中だ。





て、こんな事を あえて書くということは・・・


ちょっと不安ながらも、

何かを確実に形にしようと決意し、

具体的に行動し始めている


・・・という証拠なのだな(笑)

2017/03/03

マイナス感情のストレス:3 『自由』

フランクルは、

収容所の極限の状況の中における

人間の生命力と順応性について書いている。


●一糸まとわぬ裸体で、水に濡れたまま

 寒い晩秋に一晩中立たされたことがあったが、

 誰も鼻風邪ひとつひかなかった



●収容所に入って以来、一度も歯を磨くことなく

 明らかな栄養失調とビタミン不足にもかかわらず、

 歯肉は栄養をたっぷり取っていた頃よりも色艶がよかった



●ずっと同じシャツのまま風呂に入ることもなく

 不衛生な環境下でありながら、

 土木工事で傷だらけになっても一度も傷が化膿することはなかった


これらのことがなぜ起こったのか?


・・・考えられる事。


過酷な強制労働であっても、

ひとたび働けなくなった体になるのは、

即、死を意味していた。


・・・という状況であったこと。



死への恐怖、

それはストレスの中でも最高度のものであるはず。


しかし・・・・


その極限のストレス下でも病気になることなく、

栄養学的にも極限の状況下でも、

病気にもなっていない人間の恐るべき生命力。



苦しみと痛み、悲しみを超えようとした人間の脳の

驚異的な可能性、耐久力の証だったのではないか?



過酷極まる外的条件が、

人間の内的成長を促す事がある。



それを見失う事は、

現実をまるごと無価値なものに貶め、

節操を失い堕落する事につながった。


…フランクルは書いている。


「自分の未来を信じる事の出来なかった者は、収容所内で破綻した。

 未来と共に精神的なよりどころを失い、

 精神的に自分を見捨て身体的にも精神的にも破綻していった。」



「勇気と希望、或いはその喪失といった情調と、

 肉体の免疫性の状態の間に

 どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、

 希望と勇気を一瞬にして失う事がどれほど致命的か

 という事も熟知している。」



諦めてしまう前に、

人間の未知なる可能性を信じてみる事で、

開ける道もあるかも知れない。



フランクルが、仲間に対して訴えた事。

それは『ユーモア』の重要さだった。


彼は言った。


「ユーモアは、

 自分を見失わないための魂の武器だ。 

 ほんの数秒でも周囲から距離を取り、

 状況に打ちひしがれないために

 人間という存在に備わっている何かなのだ。」



ユーモアこそ、

他の動物にはない、人間だけにある希望であり、光だ…と。



肉体において、筋肉を緩めることで痛みが消滅するように、

『ユーモア』とは、

心を緩めることのできる、とっておきの武器とも言える。



極限時にもユーモアを発揮できる心は

どんなに辛い時でも

自己を見失ったり生を諦めたりしない。



勿論、口で言うほどには、言葉にするほどには、

決して簡単ではないだろう。


それでも、

『生きる』ことを見つめ

その為に自分の中に

絶望ではない何かを見い出せば、

人は、予測も予想も越えた力を発揮する可能性を持っている。


…そう信じたい。


マイナス感情のストレスを跳ね返すものは、

自分と未来を信じ、

いかなる状況の中でも『希望の光』を保つ柔らかな心。



怒りも、悲しみも、絶望も、恐怖も、孤独も、

『過去』にある原因を

動かす事は絶対に叶わない。

しかし、

今、生きている『現在』は、

いくらでも変えていける可能性を持っている。



変える事の出来ない辛い過去から人を解き放つのは、

現在の自分の選択が作り上げていく、

未来への希望なのだと思う。 



あらゆるものを奪われた人間に

残されたたった一つのもの、

それは与えられた運命に対して 

自分の態度を選ぶ自由、 

自分のあり方を決める自由である

(ヴィクトール・フランクル)