2017/09/18

自信があればあるほど

自分の知識や判断力に自信があればあるほど

一旦下した判断を、

撤回したり修正したりするのは

きっととても難しくなるのだろう。


そして、

自分の外に向けて

それを表明していたりすると

それを変えるには、

相当の勇気が必要だろう。


でも、

偏らない情報と

その判断の先にある『目的』を見失わなければ


そして、

自分の判断に思慮不足があったなら

常にそれを修正していく

という勇気を忘れなければ


その判断の結果がどうなっているか

ハッキリと知っているであろう未来の自分が


「あの時はあれで良かったんだよ」


と、それなりに納得してくれる答えに、

少しでも近づけるような気がする。

2017/09/16

到底理解し難い…と思えることにぶつかったら

何か、到底理解し難い…

と、思えることにぶつかったら


それが、自分自身の、
絶対に譲れない価値観に照らし合わせての判断なのか

それとも、自分の中の、

例えば、

偏らない情報の不足だったり

気づかぬうちの考え方のパターン化だったり

または、

言葉のイメージや

周囲の人たちの意見の流れだったり

情報を整理するために最初に何気なくやった
一時的なレッテル貼りのせいだったり

そんな、ちょっとした原因を

何となく修正しなかったことの

その延長線上にある、実は単純な思い込みを

自分の中で無意識に正当化するための判断なのか


それを、その都度、じっくりゆっくりと、

静かな状態の心で考えてみると・・・


意外にすんなりとやり過ごせる(笑)

2017/08/15

広島ってとこはね、 被爆してない人が行って騒ぐところなんだ

私の年代は、
自分では経験していなくても
生きている経験者から聞いていることが実は結構ある。

父方の大叔父は原爆投下の数日後に現地に入ったという。
隣接する県だから、母方の大叔父・大叔母達は、
逃れてきて亡くなった人々を知っている。

語れないこと、語りたくないこと、
あって当たり前なのだと思う。

「広島ってとこはね、
被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。
ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない」
(『自由について 七つの問答』)

この言葉の本当の重みなんて、
私なんぞに理解できるはずもない。

だから、身内からの伝聞であっても
軽々しく語ったりするはずもなく、

ましてや、
的外れな『デモ』で騒ぎたてる人々の
傲岸不遜な主義主張など聞く耳も持たない。

日本人として、黙祷するだけだ。

2017/06/19

『小さい白いにわとり』

『小さい白いにわとり』


小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 蒔きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 蒔きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 刈りますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 刈りました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が 粉に ひきますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで 粉に ひきました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が パンに 焼きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで パンに 焼きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「このパン 誰が 食べますか。」

豚は 「食べる。」 と言いました。
猫も 「食べる。」 と言いました。
犬も 「食べる。」 と言いました。












もともとは、ウクライナの民謡からのお話で、

昔、小学校の教科書にも載っていたお話らしいです。


この後、小さい白いにわとりは、豚や猫や犬に何と言ったのかな?と

子ども達に聞いたのかも知れないし、

お話を読んで、どう思いましたか?と聞いたかも知れませんが


お話が、プツンとここで終わっていると

いろんな事を考える楽しみがありますねぇ。









大人がこのお話を読むと、子ども達よりももっともっと

あれやこれや考えるでしょう(笑)


小さい白いにわとりは、みんなにパンを分けてあげたでしょうか?

小さい白いにわとりは、みんなに何か言ったでしょうか?

小さい白いにわとりは、どんな気持ちでいるでしょうか?

豚や犬や猫は、小さい白いにわとりをどう思っているでしょうか?


自分を誰に当てはめるかによっても、

色々変わって来るかも知れません。



これは、本当に面白い!

身近な人間関係、政治、宗教、様々な視点での『小さい白いにわとり』を

親しい人と、コーヒーでも飲みながら話すのも楽しそうです。

2017/06/10

適切な量と質でしゃべる

人と人との関わりにおいて

話すことでも、書くことでも、

伝え合う方法が「言語」であるならば



その言葉と表現の選択は、

とても大切なことなんだと


しみじみ感じることが多くなった・・・え?今頃?(笑)


いやいや、

垂れ流すように多くしゃべるより、

適切な量と質でしゃべる方が、

時間的にも精神的にも、

お互いにとって有益であるのは間違いないし、


SNSで文字での発言の時にも、

何を伝えたいかを見失うような文にならないよう

出来るだけ簡略に、でも要点は押さえて…と

ない頭で、それでも真面目に考える(笑)



で、その為に必要なこと、

語彙力・表現力などの知識は当たり前だけど、

伝える相手への敬意を意識すること・・・これがけっこう大事。



自分の内側から外に向けて出した言葉は

ある意味、自分の子ども達みたいなもので

手離したはずの自分にも、その言葉の影響が出る気がする。



堅苦しく考えすぎることも無いけれど

過去の自分の言葉に救われることもある。



言葉は、大切にしたいと思う。

2017/06/05

5年後の『ノイズリダクション』


5年前の、2012年6月5日のブログ

『ノイズリダクション』

http://saryuju-saryuju.blogspot.jp/2012/06/blog-post_05.html


ノイズリダクションとは、

雑音成分を低減させること。

または、

雑音と見なされる成分を除去する処理。


お片付、整理整頓、または断捨離?の3大障壁が
  • 「勿体ない」
  • 「いつか役に立つかも」
  • 「思い出」


ならば、

心のノイズリダクションの3大障壁は、さしずめ

  • 「腹立たしい」
  • 「心が傷ついた」
  • 「許せない」

ってとこかな?

でも、その真っ只中にいる時は「大問題」でも、

未来の自分から見れば・・・

いつか時間が解決してしまうような一時的な感情は

費やす時間、自分の人生の残り時間が勿体ない。


他人に引き起こされた感情なんて、

実態のないモヤのようなもの。

ふーっと吹き飛ばしたらそれで終わり。


大事な命の時間は、

もっと心地良いもの、前向きなものに使いたい。



・・・ってなことを

5年前に書いていたね(笑)



そして今の、5年後の私は

この日常生活のノイズリダクションを

普通に毎日やっている(笑)


いや~、鈍感になったんだか、強かになったんだかwww


いずれにしても、とても楽になりましたよ。


そして、

今の自分が、5年前に辛かったりした時を

ちょっと掘り起こしてみたら・・・



他人が自分をどう思っていたって、

それは、その人のものであって、単なる思い込み(笑)

だから

他人の目に映ってる自分(本当の自分かどうかもアヤシイもの)のことで

腹を立てたり、悲しんだり、苦しんだり、

あれやこれやと、どうにもならない心配なんか

する必要など、ま~~~~ったくないっ。


って結論に、0.3秒ぐらいで到達しました。


時間の節約も出来るようになって、非常に喜ばしい!

その分、物理的なお片づけ、整理整頓に回そう。

梅雨が来る前に(笑)