「あれから18年たった」と今朝のニュースで聞いて、
様々な思い出が掘り起こされた。
『1995年』は、記憶に残ることが色々ある気がする。
個人的には、春に足を骨折して手術、
車いすから松葉づえを経て自力歩行まで数ヶ月かかったり、
秋には大好きだった祖母が98歳で永眠したり
あまり嬉しい思い出はないが…
社会的にも大波乱の1年だった。
阪神・淡路大震災。
捻じれて横倒しになった高速道路の映像は
とても現実の事とは思えなかった。
神戸の親族と連絡が取れるまでとても不安だった。
地下鉄サリン事件。
その後の幹部刺殺事件や強制捜索や教祖・幹部達の大量逮捕など
しばらくの間、あの奇妙な教団のニュースが巷に溢れていた。
とにかく不愉快だったのを覚えている。
高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故も、
確かこの年の年末だった。
韓国のデパートが突然崩壊して500人以上が亡くなったり、
アフリカでエボラ出血熱が発生したのもこの年。
第2次世界大戦の終戦から50年が過ぎた年…
あの『1995年』から18年経ったのか。
兵庫県立舞子高等学校という高校がある。
日本で唯一、防災学科のある高校だという。
2002年に設置された『環境防災科』がそれだが、
この高校は阪神・淡路大震災の被害に遭った学校でもあり、
避難場所となった教訓を生かして、
災害時における非常用電源として太陽光発電システムもいち早く取り入れた。
東日本大震災の時も、被災地に積極的に訪れ
災害ボランティア活動を行っている。
中越地震、能登半島地震、兵庫県豪雨、
海外では中国の四川、ネパールなどでも活動したらしい。
環境防災科の諏訪清二先生が
という書籍にまとめられて、2011年11月に出版されている。
実際に被災された方達の本当の悲しみや苦しみ、辛さは、
経験していない私には到底はかり知る事はできない。
それはもう、
想像力の限界まで使って理解した気になっても
結局は自分の感覚でしかないのだ。
でも、なんでも経験した事のない人にしか理解できなというなら
別々の命である人間同士の心が通い合うことはできないだろう。
自分の経験の中で思った事・感じた事・知った事…
その中で育ててきた心が、
人の痛みや悲しみを思いやり、喜びを共にする。
そうやって、互いに思いあう心が繋がった時に
希望や勇気のエネルギーが生まれ、『奇跡』が起きるのだと思う。
大切な人、大切なものを失って
もう立ち上がれない、もう生きていけないと、
打ちのめされていた人が
もう一度立ちあがって明日に向かって歩き始める奇跡。
大きな震災の底知れぬ慟哭の中、
それでも生まれた数々の奇跡は、
神様が起こしたものじゃなくて
人間が、人間を思う気持ちから生まれたものなんじゃないかと思う。