2013/01/10

マイナス感情のストレス③(『自由』)

収容所の極限の状況の中における
人間の生命力と順応性について書いている。

一糸まとわぬ裸体で、水に濡れたまま
 寒い晩秋に一晩中立たされたことがあったが、
 誰も鼻風邪ひとつひかなかった

収容所に入って以来、一度も歯を磨くことなく
 明らかな栄養失調とビタミン不足にもかかわらず、
 歯肉は栄養をたっぷり取っていた頃よりも色艶がよかった

ずっと同じシャツのまま風呂に入ることもなく
 不衛生な環境下でありながら、
 土木工事で傷だらけになっても一度も傷が化膿することはなかった


これらのことがなぜ起こったのか? 

・・・考えられる事。
 
過酷な強制労働であっても、
ひとたび働けなくなった体になると、即、死を意味していた。

・・・という状況であったこと。

死への恐怖、
それはストレスの中でも最高度のものであるはず。

しかし・・・・

その極限のストレス下でも病気になることなく、
栄養学的にも極限の状況下でも、
病気にもなっていない人間の恐るべき生命力。

苦しみと痛み、悲しみを超えようとした人間の脳の
驚異的な可能性、耐久力の証だったのではないか?


過酷極まる外的条件が、人間の内的成長を促す事がある。

それを見失う事は、現実をまるごと無価値なものに貶め、
節操を失い堕落する事につながった

フランクルは書いている。

「自分の未来を信じる事の出来なかった者は、収容所内で破綻した。
 未来と共に精神的なよりどころを失い、
 精神的に自分を見捨て身体的にも精神的にも破綻していった。」

「勇気と希望、或いはその喪失といった情調と、
 肉体の免疫性の状態の間に
 どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、
 希望と勇気を一瞬にして失う事がどれほど致命的か
 という事も熟知している。」

諦めてしまう前に、
人間の未知なる可能性を信じてみる事で、
開ける道もあるかも知れない


フランクルが、仲間に対して訴えた事。
それは『ユーモア』の重要さだった。

彼は言った。
 
「ユーモアは、自分を見失わないための魂の武器だ。 
 ほんの数秒でも周囲から距離を取り、
 状況に打ちひしがれないために
 人間という存在に備わっている何かなのだ。」


ユーモアこそ、
他の動物にはない、人間だけにある希望であり、光だ…と。

肉体において、筋肉を緩めることで痛みが消滅するように、
『ユーモア』とは、心を緩めることのできる、とっておきの武器とも言える。

極限時にもユーモアを発揮できる心は
どんなに辛い時でも自己を見失ったり生を諦めたりしない。

勿論、口で言うほどには、言葉にするほどには
決して簡単ではないだろう。

それでも、『生きる』ことを見つめ
その為に自分の中に絶望ではない何かを見い出せば、

人は、予測も予想も越えた力を発揮する可能性を持っている。
…そう信じたい。  

マイナス感情のストレスを跳ね返すものは、
自分と未来を信じ、いかなる状況の中でも『希望の光』を保つ柔らかな心。

怒りも、悲しみも、絶望も、恐怖も、孤独も、
『過去』にある原因を動かす事は絶対に叶わない。

しかし、
『現在』はいくらでも変えていける可能性を持っている。

変える事の出来ない辛い過去から人を解き放つのは、
現在の自分の選択が作り上げていく、
未来への希望なのだと思う。 
 
あらゆるものを奪われた人間に
残されたたった一つのもの、
それは与えられた運命に対して 
自分の態度を選ぶ自由、 
自分のあり方を決める自由である

ヴィクトール・フランクル)