井口和基さんのブログから、もうひとつ
何となく、心に引っかかった記事を抜粋転載させていただきました。
実際は映像もあるので、できれば下のURLからご覧頂いた方がいいかも。
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通常は、
みんながある言葉に対して同じ意味で使っているという前提を仮定して、
そうならば話が通じるというものが、我々の使用する言葉の性質である。
だから、
もしあるものが、
相手の言うところの意味合いなどまったく意味ない、
どうでもいい、というように考えるとすれば・・・
そうなると、後は腕力勝負になるわけである。
強い方の意味が押し付けられるのである。
おれのいうようにしろ、というだけに終わるのである。
人は、悲惨な時代の終わりには、
戦争の時代には、その後に「新世界」が来て欲しい。
いまの悲惨で 困難な時代が終わって、
新しい素晴らしき世界がやって来るはずだ、と思うのである。
ところが、
こういう「新世界」にもいくつか全く別の意味が込められる。
1つは、「新世界秩序」であり、
これは、イギリスの貴族社会、つまりは、「封建主義社会」の再来を望むもの。
2つ目は、「新世界調和」であり、
生きとし生けるものすべてがハーモニーを奏でる
シンフォニーのような社会の実現を望むもの。
「秩序(オーダー)」という言葉には、「命令」という意味もある。
秩序とそれを維持するための指令(すなわち、命令)が、
オーダーなのである。
では、だれが命令して秩序を保つのか?という曖昧さがこの概念には含まれる。
一 方「ハーモニー」というものは、
だから、だれかが命令してできるというようなものではない。
花が花であるために、お前は花になれと我々が命令しているのではない。
それを行っているのは、まさに「大自然」である。
この大自然の営みの結果、自ずと秩序が生まれ、ハーモニーが作られたのである。
「新世界秩序」から「新世界調和」への変化、
これがこれからの我々地球人類の課題であることはいうまでもないことである。
ところで、あまり科学や数学を知らない人々は、
この世界は「秩序」と「混沌」の2種類しかないと思っているだろう。
秩序が壊れたら混乱が待つだけとか、
混乱が収まってやっと秩序があらわれるとか、
こんなふうに考えているはずである。
しかしながら、これは1つの錯覚である。
実際には、秩序と混沌の間には、最も広大なる領域が存在する。
数学的に言えば、秩序の世界は周期的な世界に対応する。
混沌の世界は乱数の世界に対応する。
ところが、この間には、無限の準周期的な世界が存在するのである。
この世界の一部分としてフラクタルの世界がある。
フラクタルの世界は、秩序でもなければ無秩序でもない。
その間に属する何かである。
単純な規則のある周期の世界でもなければ、
何の規則のない無秩序の世界でもない。
どちらにも属さない新たなる世界である。
一種の調和のとれた世界である。
これが、大自然に備わった生命圏の内に潜む秘密である。
チャップリンは言っている。
「私は彼らを征服したくない、むしろ、手助けをしたいのだ。」
権力者が命令すれば、かならず反発する。
この記事の文章は、
読んでいて受け止め方はそれぞれかも知れませんが
歳を重ねれば重ねるほど、理解がしやすく
自分の身の回りで思いあたるような出来事があるのではないかと。
まあ、長く生きていればその分経験も多いですから(笑)
でも、
こーゆー思い、結構しますよね(笑)
で、歳を重ねれば重ねるほど、そんな事がアホらしくなって
「ん~、距離を取っちゃえばいいかな」って対処になる。
・・・自分の残り時間勿体なくて。
ある程度やりとりすると、分かり合えないって事が分かってくるから(笑)
まあ、その話は別にして・・・とても心に残った言葉
何となく、心に引っかかった記事を抜粋転載させていただきました。
実際は映像もあるので、できれば下のURLからご覧頂いた方がいいかも。
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From New World Order to New World Harmony!:「征服ではなく、むしろ、助けたいのだ。」http://quasimoto.exblog.jp/17309836/
言葉というものは、「定義」があって始まるものである。
つまり、何らかの「前提」や「仮定」の上で出発するものである
ということである。通常は、
みんながある言葉に対して同じ意味で使っているという前提を仮定して、
そうならば話が通じるというものが、我々の使用する言葉の性質である。
だから、
もしあるものが、同じ単語を使う際に別の意味で使っているとすれば、
それは誤解を生み、うまく物事が理解し合えるとは言えないのである。もしあるものが、
相手の言うところの意味合いなどまったく意味ない、
どうでもいい、というように考えるとすれば・・・
そうなると、後は腕力勝負になるわけである。
強い方の意味が押し付けられるのである。
おれのいうようにしろ、というだけに終わるのである。
人は、悲惨な時代の終わりには、
いつか「新世界」がやってくると思うという性質を持っている。
戦争の時代には、その後に「新世界」が来て欲しい。
いまの悲惨で 困難な時代が終わって、
新しい素晴らしき世界がやって来るはずだ、と思うのである。
さもなくば、
その困難な時代を乗り越える力や勇気すら得られないからである。ところが、
こういう「新世界」にもいくつか全く別の意味が込められる。
1つは、「新世界秩序」であり、
これは、イギリスの貴族社会、つまりは、「封建主義社会」の再来を望むもの。
2つ目は、「新世界調和」であり、
生きとし生けるものすべてがハーモニーを奏でる
シンフォニーのような社会の実現を望むもの。
「秩序(オーダー)」という言葉には、「命令」という意味もある。
秩序とそれを維持するための指令(すなわち、命令)が、
オーダーなのである。
では、だれが命令して秩序を保つのか?という曖昧さがこの概念には含まれる。
一 方「ハーモニー」というものは、
ここにもある種の秩序は保たれるが、この秩序はおのずと出来上がるものである。
だから、だれかが命令してできるというようなものではない。
花が花であるために、お前は花になれと我々が命令しているのではない。
それを行っているのは、まさに「大自然」である。
この大自然の営みの結果、自ずと秩序が生まれ、ハーモニーが作られたのである。
「新世界秩序」から「新世界調和」への変化、
これがこれからの我々地球人類の課題であることはいうまでもないことである。
ところで、あまり科学や数学を知らない人々は、
この世界は「秩序」と「混沌」の2種類しかないと思っているだろう。
秩序が壊れたら混乱が待つだけとか、
混乱が収まってやっと秩序があらわれるとか、
こんなふうに考えているはずである。
しかしながら、これは1つの錯覚である。
実際には、秩序と混沌の間には、最も広大なる領域が存在する。
数学的に言えば、秩序の世界は周期的な世界に対応する。
混沌の世界は乱数の世界に対応する。
ところが、この間には、無限の準周期的な世界が存在するのである。
この世界の一部分としてフラクタルの世界がある。
フラクタルの世界は、秩序でもなければ無秩序でもない。
その間に属する何かである。
単純な規則のある周期の世界でもなければ、
何の規則のない無秩序の世界でもない。
どちらにも属さない新たなる世界である。
一種の調和のとれた世界である。
調和とは秩序でも無秩序でもない。
日本で言う「和合」のとれた世界である。これが、大自然に備わった生命圏の内に潜む秘密である。
チャップリンは言っている。
「私は彼らを征服したくない、むしろ、手助けをしたいのだ。」
権力者が命令すれば、かならず反発する。
したがって、戦争が起こる。
そしていっきに無秩序へと転落する。
もし権力者が調和を求めたらどうか?
各人各様に適材適所の道を自ずと探し始めるのである。
※フラクタル(フランス語:fractale)
フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念。
部分と全体とが同じ形となる自己相似性を示す図形などの例があるが
数学的に厳密に定義するのは非常に難しい。破片・分割の意のラテン語からの造語。
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読んでいて受け止め方はそれぞれかも知れませんが
歳を重ねれば重ねるほど、理解がしやすく
自分の身の回りで思いあたるような出来事があるのではないかと。
まあ、長く生きていればその分経験も多いですから(笑)
でも、
>ある言葉に対して同じ意味で使っているという前提を仮定して、
>そうならば話が通じるというものが、我々の使用する言葉の性質
>同じ単語を使う際に別の意味で使っているとすれば、
>それは誤解を生み、うまく物事が理解し合えるとは言えない
>相手の言うところの意味合いなどまったく意味ない、
>どうでもいい、というように考えるとすれば・・・後は腕力勝負になる。
>強い方の意味が押し付けられる。
>おれのいうようにしろ、というだけに終わる。
こーゆー思い、結構しますよね(笑)
で、歳を重ねれば重ねるほど、そんな事がアホらしくなって
「ん~、距離を取っちゃえばいいかな」って対処になる。
・・・自分の残り時間勿体なくて。
ある程度やりとりすると、分かり合えないって事が分かってくるから(笑)
まあ、その話は別にして・・・とても心に残った言葉
調和とは秩序でも無秩序でもない。
日本で言う「和合」のとれた世界である。
各人各様に、適材適所の道を自ずと探し始めるのである。
個人個人の持っている能力が、良い形で発揮できるって
そして、それがどこかで誰かの役に立つのって
いいなあと・・・素直に思います。