2012/02/27

誤解する者にはさせておけばよい。 その者は貴方には何もできないのだから

備忘録程度、言ってしまえば、
身内向けの極々狭い世界でのやり取りの為に
ネット上に空間を取った…
そんな感じで始めたブログ。

でも、3.11以降知りたい事が増えて…
調べたい事も増えて…
書くことが自分の頭の中の整理となった。

ただただ書き散らかしただけの、
中途半端なブログ。

それが、
段々アクセスが増えて、
コメントがつき始めて、

遅ればせながら
自分や家族だけではない交流と関わっている事を
うっすらと感じ始める。

ああ、苦手だ。
正直な感想。

人からの、
距離感を考えない接触を、
非常に不可解に感じたりする。

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インターネットに初めて触れたのは1999年頃。

ネット上の
顔の見えない交流を体験し始めたのが2001年頃。

その頃から、
人の粗暴な言葉が本当に苦手だった。

とある掲示板で、
顔は知らないけれど交流のあった人が
ひどく攻撃されていた。

驚愕。

他人が他人を非難する言葉、
あまりの罵詈雑言、誹謗中傷。

あの人達は、
何故あそこまで自信たっぷりに人を非難してはばからない?

一体どんな人生を歩めば、
あそこまで他人を罵倒できる?

いや、どんな人生を歩んだとしても、
ここまでの言葉で他人を攻撃できるものだろうか?

答えの得られないまま、
私はそこに行かなくなった。

正確に言えば、
ある程度いろいろあった後に行かなくなった。

目の前にいれば、到底言えないだろう聞けないだろうと思うような
致命的な言葉の応酬が、
ネット上ではやすやすと展開される。

そして、どう見ても筋が通っていないのに
理不尽な意見に味方する者が次々と現れて
集中攻撃の様相を呈し、
挙句は、
いつの間にか個人情報が晒されていた。

面白くも恐ろしく、つまらなくもある奇妙な世界。

時間と感情の無駄遣い?
…現実はほとんど何も動いていないのに
感情だけ残る。

でも、心地良い出会いもあって、
そこから生まれた友情が
10年以上経った今も続いている
という現実もある。

ネットは情報をくれる。
遠くの人達とも交流できる。

でも、危険な事もある程度覚悟が必要なのだ
と知った。

今はもう、ホントに遠い遠い昔の話。 

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いまだにネットに関して大した成長は無い。

でも、それなりに強くなった心は、
何があっても、
それなりに前を見ていられるようになった。

多分自分の事も全部は分かってはいないんだろう私。

同じ様に、

人の事は分からないし、
人も私の事は分からない。

だから、
分からないなりに
まっすぐ関わっていくしかない。


最後の一呼吸まで必死に生きようとして、

それでも生きる事の叶わなかった儚い命の

旅立ちを見た。

魂がちぎれるかと思うくらいの慟哭だった。

声にならない叫びを、ずっと上げ続けていた。

あの瞬間の衝撃に比べたら、

今私が生きてある事の苦しみや悩みなど

大したことではない。


人は生まれ、生きて、いずれ死ぬ。

そのかけがえのない時間が勿体ない。

自分の命を研ぎ澄ますのは自分の仕事。

自分を変えられるのは自分だけ。


『誤解する者にはさせておけばよい。

その者は貴方には何もできないのだから』


3.11以降、
新たな関わりがあり、
また素敵な出会いを経験している。

私より年上の、
人生の先輩達とも出会う事ができた。

学べる事は、無限にあるんだなと思う。
本当に有難いと思う。

誰もみんな生まれた時は、
無垢で小さな一つの命だった。

そう思えば、
何となくいろんな些細な事が気にならなくなって

未来に向かう希望が湧いてくるから不思議。。。


さあ、明日もまた新しい1日が待っている。