2012/02/21

危機に面して、人は時に大変身を遂げる


井口和基さんという方のブログ

時々読んでいるんだけど、・・・
難しくてサッパリ分からないものや、
「え?ホントに?」と驚く内容もいっぱいあって・・・面白い
真偽のほどは、私には何とも言えない。…知識量が違いすぎる。

さて、今回、ふと目に止まって読んでしまったのが
以下の記事でありました。
全部載っけると長くなるので。。。抜粋のみ

興味のある方は、URLからとんでいって読んでください。

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『危機に面して人は時に大変身を遂げる!』
http://quasimoto.exblog.jp/17358745/

大分前に「アングロサクソン・ミッション」のビル・ライアン氏のところで

人は、いま研究で忙しいから、
教育しなくてはならないからまた後でとか、
家事が忙しい、などとさまざまな理由をつけ、
現実世界で起こっていることに目を背け、
その場から去ることは出来る。

むしろ、
そうしていて欲しいと願っている人々がいるわけだ。

これは人の持つ自己防衛本能の1つの発露だから
それ自体否定できない。

なぜなら
すべてはこの自己防衛本能から始まるからである。

しかし、その一方で、
これまた人の持つ不思議な側面がある。

それは、
人には未知の物を追求したり、
謎を解きたいと思ったり、
本当のことを知りたいという、
極めて神聖な感じのする本能もある。

これもまた人間という生命体の持つ
自己防衛本能の発露だろうと私は考えている。

同じ本能が
一見全く異なる反応を生み出している
というわけである。

しかしながら、
これまた不思議なことに、
この2つの相反する行動が
一つに統合される時がある。

それは、 

真実を知らなくては自己防衛できない
という危機に瀕した時である。

こういう時には、
普段は凡庸に見える、一見馬鹿ななまくらに見える人が、
歴戦の勇士に姿を 変えることがある。

その本人自体が
自分自身の身体の中に眠っていた天性の
本当の才能に驚く
ということすらあるのである。 

火事場の馬鹿力、戦乱の勇気、
こういうものはその発露である。

ビル・ライアン氏もその一人だったが、
他にもそういうふうにして変化したアメリカ人のこともメモしていた。 

どうやら人間には何種類かいるようである。

(あ)
普段は馬鹿ばっかりやっていたものが、
ある衝撃的な事件をきっかけに
見事な人物に大変身する。 


(い)
逆に、普段は理知的な人間のようでありながら、
ある衝撃的な事件をきっかけに右往左往し
まったく思考能力が低下してしまうものもいる。

(う)
もちろん、普段も馬鹿だったが、
その大事件をきっかけに
ますます馬鹿さ加減が増大するもの。

(え)
逆に、普段から見事な人物が、
その大事件をきっかけに
ますます磨きがかかるという人物もいる
というのは言うまでもない。

そういう私自身何がきっかけでいまがあるのかと言えば、
「フリーの理論物理学者」になったことがきっかけだったのである。

私がもしどこぞの研究員や社員だったとしたら、
我が家のサイトも私のブログも私の半分以上の理論物理学の研究も
存在し得なかったはずである。

人という生物は、

何かのきっかけで大変身するということがある。

その「何か」は多くの場合、
一見すれば
(つまり、その時の常識的見解からすれば)、
不利になるというようなことから生まれることが多い。

イエス・キリストも仏陀もガンジーも
バックミンスター・フラーもデービッド・アイクも
もともとは何不自由のないいいことのお坊ちゃんであった。

それがあるとき、
何かのきっかけでそれに疑問を持つようになる。

そして自身でそれを思考し始める。
沈思黙考するのである。

この期を過ぎると、
まるで芋虫がアゲハチョウに大変身するかのように、
大きな躍進を遂げるのである。

そうなると、
昔の芋虫の自分とはまったく違った人間に
なっているというわけである。

この大変身の能力は

どうやら誰にも本質的に備わっているものらしい。

問題は、そのきっかけとなる事件や
さなぎの時期や孵化の時期なのである。

揺籃期がないとどうやらダメのようである。

たいてい大人物になったような人というのは、
人生のどこかで
誰とも口をきかないという時代を過ごすものらしい。
ピカソの「青の時代」である。

この一見憂鬱で鬱積したフラストレーションの時代を過ぎて
もし生き延びることができれば
(大半は羽化する前に死に絶えるか食われるものだが)
大成長を遂げるのである。

人とはそういうとてつもない可能性を
本質的に備えているものなのである。

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いや、だからどうなの?
と言われても答えようがないのだけど…

2011年3月11日以来、
多くの人の人生が激変したのではないかと思う。

この、のんき者の私の周辺ですら、
大きな変化が幾つもあった。

井口さんの記事に一個加えさせてもらうとしたら

(お)
何が起こっても、まったく何にも変わらない人もいる

それは、

卓抜した平常心なのか?
単に鈍いのか?
成長が無いのか?

さて、アレからそのうち1年が過ぎるんだろう。

コレからそれぞれみんな、
どんな風になっていくんだろう?

そして、私は?