■実は結構楽しんでこのブログを書いている。
手書きの日記も毎日書いているけれど、
5年日記なので、1日分が数行しかなくて淋しく思う時もよくある。
それに比べると、
ブログの更新はかなりウキウキ楽しんでいる。
PCだと、字が汚いとか、漢字が思い出せないとか、
・・・考えなくて良い。
しかも、どうしても書きたいなら、
気が向くままに延々書いていられる。
それだけ自由度が高いと、
どんなにへっぽこな内容のブログでも、
自分としては、決してやめたくはない。
この10年、
書いたり書かなかったり、書かなかったり、書かなかったり、
書かなかったり、書かなかったり、書かなかったり、書いたり…
■あまり書いていないぞ!と言いきっても良いレベル
だけど、
心の広いBloggerさんは、抹消せずに残して下さっている。
ありがたいことである。本当に、ありがたいことである!
統一テーマもなく、ごちゃごちゃとしてはいるし、
有益な情報提供なんて全くないんだけど、
これがまた『バカな子ほど可愛い』というヤツで、
いや、バカなのは書いている私なんだけども、
とにかく、結構大事にしている…つもり。
■来訪者には丁寧に…と心掛けて
だからこそ、この場所を守るために、
よく意図が分からない、餅をついたようなタイプの訪問者があった時にも、
明らかに事実誤認、明後日の方向に勘違いした訪問者があった時も、
出来るだけ丁寧に対応してきた…と思う。
今だったら…もしかしたら無礼には無礼で返すかも?
いや~どうだろう?めんどくさくて放置になっちゃうかな。
年取ると、いろいろとエネルギー不足で(笑)
自分の課題と人の課題に分けてしまって、
勘違いは人の課題なので、
礼儀の範囲にある『必要最低限の説明』だけしたら、
その後は、「ご自由に解釈して下さい」って対応になってしまうかも。
■コミュニケーションは好きだし、大事!
でも、最初から変なバイアス掛かってて、
意味不明に無礼だったり攻撃的だったりする人に、
自分の時間を差し上げるのは、辛いお年頃になってしまった。
ただ、基本的には楽しい事は大好きだし、
良いことも楽しい事も、人が運んできてくれるので
人と関わることを躊躇はしない。ちょっと無謀な性格ではある。
■辛くなるから、「ねばならない」はしない
書く事を楽しんでいるので、ブログの更新を義務にはしないし、
見ている人もあまりいないので、更新の頻度も非常に低い。
でも、今年はもっと書く事をしたい。
そのために、私にしてはちょっとだけ、
更新頻度のハードル上げ気味で書いている。
・・・これでも。
■ブログの更新をサボっていたのはワザとではない
心の底から正直に言うと、
毎日毎日、頭の中には「更新したいな~」ってのがある。本当に。
では、それなのに、なんで更新しないのか?
それは、ぶっちゃければ、ただ単に、
流されていたのでございます~~~っ
別に、どこかの海を漂流していたわけではなくて
毎日の生活の中で、
大して優先順位の高くない事に、
ハッキリ言ってどうでも良い事に、
流されて、一日が終わっていた。
そっちの方が楽ちんだから。
楽しくはないんだけど、楽だったから。
楽な方に流されていたから、
結果的に楽しくなくなったんだろうな。
■勿論、大事な事もやっていた
それなりに手のかかる家族達が、それなりにいるわけだから
それなりの愛情とエネルギーを持って、
それなりにやることは毎日色々ある。
でも、人間って、それだけじゃない…
■私が人生を楽しむためには
自分の中で思っていることを、外側に出すこと、表現すること。
これが必要なんだと思っている。
記録すること、時々 確認すること、
深めること、連想すること、上書きすること、
再認識すること、否定することもあるかも知れない。
そこから嬉しい何かを受け取ることもある。
過去の自分の言葉に、何度も何度も救われた。
■家族が見ている
諸事情あって、
今は家族が何ヶ所かに別れて暮らしている。
skypeやメールで頻繁にやりとりはしているので、
ありがたいことに距離はあまり感じない。
そして、お互い言及はしないが、
多分何人かの家族がこのブログを読んでいる。
私が考えていることを知って、
驚くかも知れないし、笑うかも知れないし、怒るかも知れない。
今はまだ小さい家族達が、
これから読むことがあるかも知れない。
その時になって、
何がどんな役に立つのか立たないのか、
今はサッパリ分からないけど。
でも、だからこそ、
そのまんまの私を正直に書いておきたい。
これもコミュニケーションって言って良いんだろう。
小さな世界だけど、大事な世界。
■インプット、自分の中に一回入れて、アウトプット
基本的に早寝早起きの私は、朝の時間を少し読書に充てている。
読みたくて手に入れて、そのまんまだった本もあるし、
くり返しくり返し読んでいる本もある。
そこで得るものは『言葉』
考えるときも、伝えるときも、大事な『言葉』。
多くの先人達の、そして今いる、自分以外の人達の、
たくさんの人生の中から編まれた素晴らしい『言葉』が
本の中には、い~~~~~~~~~っぱいある。
せっかくの人様の智慧、
何か心に引っかかったなら、
好き嫌いせずに頂くのである。
頂けば、何かの栄養になるのである。
よしんば、何も無いままに排泄してもイイジャナイカ。
取り入れたモノは、いずれは出すようになっている。
その大事な場所が、ここなのだ。
え、それって、トイレってことになるの?( ・_・;)
だから 流されてたのか・・・ いや、違うし。
ああ、なんとなくいい話に持って行けそうだったのに orz
やれやれだ