2012/06/16

静かな戦い

私自身は宗教にはトンと縁がないが、
冠婚葬祭は取りあえず仏式・神式両方に一般的な対応は出来る。


幼いころに通っていた近所の幼稚園がお寺さんで、
『ののさま』といいながら手を合わせるようなところだったが
昔の幼稚園は、お寺さんがやっているのは珍しい事では無かった。
(今から思えば、あれは親鸞聖人だわね)

実家&親戚の冠婚葬祭は神道系で、通った大学はキリスト教系で
節操無いことこの上ないが…まあ、日本ってそーゆーとこあるよね。
もとが八百万の神様の国だから、懐が広いというかテキトーというか、
拘りなく、いろんなものを受け入れる土壌があるかもね。 


小学校からの同級生にお寺の息子がいて、今では立派な住職さまだけど、
小さな頃から穏やかでボ~~~ッとしたヤツだった記憶がある。

高校の同級生にもお寺の息子がいて、京都の仏教系大学に行って
その後実家の跡取り住職になっているはずだけど、
彼もまた、人の良い笑顔の思い出しかない優しい人だった。
野球部のキャプテンだったっけ(関係ないか)


私の中では、『お寺さん』のイメージは穏やかでぼ~っとしてて
みんな優しくて、何か為になる話をしてくれる場所。
もしくは、親しい人と最後のお別れをする場所、見送る場所。
人の命が最後にたどりつく、静かで世俗とは空気が違う別の場所。
…そーゆー勝手なポジションに設置していた。



2011年の3.11以降、色んな意味で激変したといえる状況の中
自分の中の様々な認識にも変化があった。
…そりゃそうだ。

今までのようにのほほんとばかりもしていられないかな~
と、普通ならちょっとは考える。 
家の中で放射線量計測器の話題なんて、それまでは出た事もないもんね。
スーパーでお買い物をする時に、産地をシッカリ見たりしなかったもの。


で、人とか職業とか組織とか団体とかに対する印象も多少変わったりした。
政府・政治家・学者・医者・教師・自衛隊・芸能人・有名人…

同じ事に対する、認識や姿勢や意識の持ち方が
ちょっとだけ気になる様にもなった。


基本は自分自身だから、人が何をどう思おうが構わないと思ってたけど
権力や影響力を持つ人次第で、何か大きく動く事があるなら、
それがあまりにも間違った選択をしていると取り返しがつかない事も起こる。

強権発動で、無理やりコトを推し進められるのはかなり不愉快だし、
漠然とした空気に支配されて流されていている様で不安になったりする事もある。


逆に、シッカリとした意思と方針を明確に打ち出してくれていて
「おお!」とうれしくなってしまうこともある。

県民の安心・安全を何より重視する県

この記事の内容ひとつで、私の中で徳島県の好感度は急上昇した気がする。



今回の東本願寺の声明で、
私の中での幼稚な『やんわりお寺さんイメージ』は一気に変化して、
『戦う坊主集団』に近いものとなった。

勿論、静かな戦いなのだろうとは思う。武力行使なんてないんだ。
でも、確固たる信念と不退転の決意を感じませんか?




「大飯原子力発電所再稼動に関する声明」を発表 
http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=402
 
6月8日、野田内閣総理大臣の大飯原子力発電所再稼動の表明に対して、
真宗大谷派では6月12日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
大飯原子力発電所再稼動に関する声明

真宗大谷派は、福島第一原子力発電所の事故以来、
一貫して「原子力発電に依存しない社会の実現」を目指してきました。

私たちは、福島第 一原子力発電所の事故により、
ひとたび放射性物質の拡散が起これば、取り返しのつかない事態に陥ることを、
改めて思い知らされました。

そして、原子力発電 の「安全神話」も「必要神話」も、経済を優先するあまり、
人間が創り出した闇であったことを認めなくてはなりません。
 

今なお、福島第一原子力発電所の事故で多数の苦しんでおられる方がある中で、
一旦停止した原子力発電所を再稼動する理由に、
人のいのちよりも優先すべきことがあったのでしょうか。
 

ここに、真宗大谷派は、
このたびの野田内閣総理大臣の大飯原子力発電所再稼動を表明されたことに対し、
強く遺憾の意を表明いたします。

あらためて大飯原子力発電所はもとより、他の原子力発電所も
決して再稼動することのないように、念願するものであります。

2012年6月12日
 真宗大谷派(東本願寺) 
宗務総長    安 原   晃


難しい事を言い始めたら、賛成派も反対派もお互いきりがないくらいに
理屈はなんとでもつけて主張できる。

そして、お話についていけなくて思考をストップさせてしまえば、
楽だけど、様々なごり押しや不本意な流れに乗らざるを得なくなる。

中途半端な『知識人』のご意見や小理屈に充分飽き飽きした一般人としては、
もっとシンプルに、素直に考えることにした。

便利と我慢を、危険の度合いを基準にして天秤にかける。
求める価値によって、多少のハンディはつける。

私の優先順位の1番は『安全・安心』なので、我慢するのは『便利』となる。

原子力発電はもしかしたら、万全の状況のもとでは安全で安心で
効率の良いエネルギーを生みだす夢のような魔法の施設かもしれない。

でも、規模の大きい地震と津波がきたら、
この上もなく危険な施設でもある事を、今回沢山の人達が知る事となった。

大きな地震も津波も、絶対に起こりませんと言う事が出来ない以上
どんなに素晴らしい可能性があっても、
我慢する事は我慢しなくちゃいけないと思う。

便利さを享受して、その代償に酷い目に合うのはイヤだと思う。

それに、ひとたび事が起これば、自分達だけの問題ではないのだから。

子どもや孫や、さらに遠い未来まで影響の残る様な事態、
自分達の国の中だけでは、おさまらない。

だって、国境線のある地図と現実の世界は違う。
海も空も、境目なく世界と繋がっている。

自分達の都合と理屈だけでやっていいことの範疇を越えて
途轍もなく大変な事が起こってしまったら責任がとれないでしょ?
これは、多少繰り返しても大丈夫な個人の失敗とはワケが違うのです。

誰を責めてもどうにもならないような事を、二度と起こさないようにするために
大きな変化が必要なんじゃないかなと思う。

それに伴う不自由や我慢は、可能な限り受けようと思う。
それでも私は、きれいな空気や水や自然や、安心が欲しい。

人間が生きていくのには、そんなに沢山のモノは要らないと思う。

過激な行動や、過剰な運動や、異常な押さえこみや、情報の隠蔽・加工・操作
そんなものに時間を割いてる余裕があるとも思えない。
この国が好きで大事なら、もうこれ以上無理や無茶はしない事だ。

効率が悪くても、別の形の多少のリスクがあっても
命の危機に直結する危険をまねかないものを選んだほうが良い。

大金と長い時間をかけて作り上げたものから撤退するのは
とっても勇気と決断力が要るし、影響も大きいから、
本当に難しくて大変なんだと思う。 

でも、仕方ないものは仕方ないんだよね。

事業でもギャンブルでもそうでしょ?
負け戦で粘って撤退が遅れると損失が拡大する。 
しかも、この場合、一発逆転の奇跡のような展開は絶対にないよ。
ダダ漏れ的に、ズルズルと死地に向かうばかりだと思う。

責めたり責められたり、批判したりし返したり、攻撃し合って潰す時間が
本当に勿体ない。

停めたものはもう動かさない。 
2度と動かさなくて済むようにする。

そして、どうやっていけば良いかを考え、
沢山の知恵と技術を出し合って実現していく。

そのために必要な我慢こそをみんなで分かち合う。 
汚染された瓦礫を分かち合うのではなくて。

起こった事はもう取り戻せない。過去は動かせないからね。
だから、これから先の未来の話をしよう。

未来は今、目の前で作られている。
誰の為でもない、先ずは自分達の為に、危険でない方向を考えよう。

個人のブログでこんなことつぶやいても、何も変わらないんだろう。
でも、こう言う事を考えてる人間もいるって事だけでも、誰かに伝わる。
自己満足の世界かも知れないけど、自分の意見を持つのも大切。 

考える事をやめたら、気づけることにも気づけなくなりそうで。