今日は母の誕生日。
私の事は、たまに思い出すけど
『娘』としての認識はない様子。
介護用の紙パンツは必要だけど、
お天気の良い日は毎日お散歩もできる。
食べる量は少しずつ減ってるけど食欲はある。
好きなDVDを見ては楽しそうに笑っている。
同じDVDを何回も何回も見る。
好きだった童謡や唱歌を歌う。
妹が一緒に歌うと、嬉しそうに声が大きくなる。
認知症を扱った情報には結構敏感になっているけど
特効薬と言えるものにはまだまだ遠い。
最初に兆候を感じたのはいつだったのか?
治療を始めるのが遅かった?
家族で何とか頑張ろうとしたのは間違いだった?
今となってはどうにもならない事だけど、
何度も頭の中で考える。
子育てをもう一度やるように、
気持ち良く根気よく対応しないと
自分も辛いし相手も辛いのだという事は良く分かってる。
でも、
やるせない時もある。
たまらなくなる時もある。
無償の愛が人を育てるように
自分の心もまた成長させる。
『介護とは、親が命がけでする、最後の子育
辛かった頃に、どこかで見つけた誰かの言葉…
怒ってもいい、
泣いてもいい、
私を忘れてしまってもいい。
生きていれば、
いつか奇跡が起こるかもしれない。
辛いかもしれないけど、
ごめんね。
楽になりたいかもしれないけど、
ごめんね。
でも、
生きていて欲しい。
もう、
本当にそれだけでいい。
生きていれば、いつか奇跡が起こるかもしれない。
また一緒に、歌ったり笑ったりしようね。
大好きなおかあちゃま、お誕生日おめでとう。
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認知症については、ここにも少し書いています。
『ペコロスの母に会いに行く』
『手紙~親愛なる子ども達へ~』(樋口了一)
http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/TEGAMI/
スクーリングの社会学のチーム研究で『介護』をテーマに取り上げ、
プレゼンテーションの時に、配布資料にこの歌の歌詞を添付しました。
メンバーのほぼ全員が何らかの形で介護に関わっていました。
プレゼンが終わると、教室のあちこちに涙を流している人がいました。
介護については、
今は実感する事はできない方もいるでしょうが、
人は誰もみんな、親から生まれます。
自然の順番から行けば、親を先に見送ります。
どのような形かはそれぞれだと思いますが、
認知症に関しては
心の準備をする時間を与えられたのだと…
そんな風に受け止めています。
でも私は、
自分がしたこの思いを
残される家族にはさせたくなくて
だから、
できるだけ元気でいようと、
そのために何をすればいいのかと
そんな事を考えるようになりました。
自分の健康は、
自分のためだけではないんだと知りました。
手紙 ~親愛なる子供たちへ~
【作詞】不詳 【訳詞】角 智織
【日本語補詞】樋口 了一 【作曲】樋口 了一
年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせがまれて、繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ
消えて去って行くように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に、私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがることきには、思い出して欲しい
あなたを追い回し何度も着替えさせたり、様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り、飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて、立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが、か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで
私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ