2012/04/02

そういう選択肢もあるということ

井口和基さんという理論物理学者の方のブログを時々読んでいる。

先週末は片付けをしていて、ずっと読んでいなかったが、
久しぶりに見て気になった記事があったのでご紹介したい。

2012年3月28日の記事 
『ストロング・ラブ博士の疑問!:「なぜ西日本へ避難しないのか?」』 

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(以下 抜粋転載)

私はここ徳島県阿南市に引っ越して来て今年が17年目になるが、
この16年間で毎年注目しているのは、徳島県の子供の人口が
どんどん減って来ているということである。
(もちろん、徳島県だけではなく、四国4県みな共通の問題である)
私が来た当初は確か県の人口は80万人を超えていたと思うが、
今では80万人に満たない。

徳島の人口(徳島県推計人口)

そして、毎年徳島県の地方の山間部では、
歴史ある小中学校が、「最後の一人の卒業式」を経て廃校になっている。
その数、年3〜4校である。

今年も地方の有名 な小学校が最後の1人の卒業式を経てその伝統が消えた。
今年で私が来てから45校は廃校になったのである。
もちろん、幼稚園などもニュースにすらならないが、
県内のあっちこっちに廃校になった建物が使われないまま残っている。

地方、それも四国や西日本の各県では、
少子高齢化の進行は、それほどまでに桁外れなのである。

おそらく、東日本も同じような状況だと思うが、
東日本の人々は、西日本へ来たことがないだろうから知らないはずである。

徳島県小学校の廃校一覧 徳島県中学校の廃校一覧 徳島県高等学校の廃校一覧


(「NPO法人 郷(さと)の元気」として活用。 




 





 (しょうがないから、地元の人が利用している。
       「aiaiのきまぐれ日記」より。)





(校舎というものは、人がいなくなればすぐに朽ちる。「廃ダイナミックレンジ 〜廃墟HDR〜」より。)
  




問題は、こういう廃校となった学校の校舎が
       そっくりそのまま残っているぞということなのである。

だから、もし福島県の子供たちが、ここ徳島の廃校にそっくりそのまま
お引っ越しして来ても、もう明日から授業を開始できる。 

そういう状況の学校がそこら中に転がっているのである。
いくらでも逃げる場所、安全な場所で学校を再開することは可能なのである。

まずは、こういう事実を福島やその近隣の学校関係者は知るべきである。


黙っていて被爆を続けて行くよりは、どこか西日本へ疎開し、
しかるべき時まで待ち、その後地元が元通りに戻れば、人間も戻る。
そういう選択肢もあるということなのである。

このことは、子供に限らない。
大人の場合、一軒の家の場合も同じなのである。

徳島県に限らないが、
山間部や海沿いの町では、空き家の民家などはたくさん存在する。
高齢の人しか住んでいない。
後継者はすべて都市部に行ってしまったというような町や村も
たくさん存在するのである。

できれば、若い人が住んで欲しい。
若いどころか、だれか住んで欲しいというような家はたくさん存在するのである。
とにかく人がいない場所というのがたくさんあるのである。

そういうところへ一家で移り住むということも簡単なことなのである。
金銭的な保証は国や県にしてもらえば、
まるで年金生活で東南アジアに住む人がいるが、そんな形で、
西日本に居住することは原理的に可能なはずなのである。

それほどに人が住まなくなった、非常にすばらしい場所が
ここ徳島県内だけでもたくさん存在するのである。

放射性物質は我々物理学の知る、厳密な自然法則に従って動いている。
物質は人間の思いや感情など何とも思ってはいない。
そういうものなのである。
核爆弾は被災者の感情などおかまいなしに人間を焼きつくし、
被爆させるものなのだ。

だから、
自然現象を正しく認識する以外に、
本当の解決策というものは生まれて来ないものなのである。

(以上 抜粋転載)

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実際に地元に住む人が、 
「だれか住んで欲しいというような家はたくさん存在する」
と言っている、その事実だけでも伝えたいと思った。
知っている人もいるかもしれないけれど、知らない人がいたら
情報の一つ、選択肢の一つとして考えるきっかけになるかも知れない。
そんな気持ちで書いてみた。 

情報は探せば沢山ある。
でも、選択は自分でする。
何を優先させるか、何が譲れない事なのか・・・

きっとそれぞれの事情の中で色々あると思う。

いずれにしても、
それぞれのしっかりとした覚悟の中で行われていくんだろう。

いろんな人がいろんな形で警鐘を鳴らす。

でも、3.11以降の事を真剣に考えてみた事のない人なんて
実際にはいないと思う。


避難する人も、残って頑張り続ける人も、心配する人も、応援する人も
みんな、幸せに安心して生きたいと思ってる事にかわりはない。


だから、放射脳だとか、宗教みたいだとか、非科学的だとか、
神経質過ぎるとか、鈍感過ぎるとか、騙されてるとか、宣伝だとか、売名だとか、
バックに何がついてるとか、誰かの手先だとか・・・
 
そんな風な非難や揶揄、
(もしかしたら、どこかで誰かの何かの役に立っているのかも知れないけど)
そろそろもう、みんなお腹いっぱいになってると思うし
傷ついて気力をそがれる人の方が多分多いと思うから、
いい加減にした方が良いんじゃないかと思う。 

役に立つ情報を提供したい人はどんどんしていって
それを活用したい人はどんどんしていけばいい。

何か、危険だと思う事があるなら、
強制や攻撃や揶揄などナシに
受け取った人が冷静に判断できるように、
淡々と誰にでも理解できるように
伝えればいいと思う。
 
決めるのはあくまでも個人個人。

だから、やっぱり「 そういう選択肢もあるということ」なのだ。