■気がつけば10日過ぎていた。
新型コロナが収束して、面会が再開されて、会いに行っても
病室にはもう母はいないのだなと…
そんな当たり前の事を、何度も自分の中で反芻していて
一向に実感が湧かない。
■7年前に父を見送った時のように、
時が解決してくれるのをゆっくり待つしか無い。
父は、らしいと言えばらしいくらいに、あまりに突然だったけど、
母は、1年という時間をくれた。
この1年は、母がくれた文字通り命がけの時間だった。
家族達の中で、私が一番先に立ち直ることでその思いに応える。
その愛をしっかりと受け止めたいと思う。
■受け入れてしまって先へ進む方が早い
この1年、コロナで面会が出来なくなって
それでも、離れた場所から毎日決まった時間に
あるいはその時々に、母を思って、祈りと願いを送っていた。
自分を元気にして、出てきたエネルギーを母に伝えて、
それが、母の生命の力に少しでもなればと…
見えない思いを祈りにして、どんな形にしてでも母に届けようと。
コロナはもう、既に起こってしまった現実だから変えようがない。
だから、その状況下でも出来る事をするのが、文字通りの最善。
これまでのように触れることも言葉をかけることも出来ないなら、
もう、祈りと願いを届けるしかない…そんな風に思っていた。
■そのためには、自分自身が元気でいる事が大前提。
目標がハッキリすれば、即行動に移すと流れは加速する。
…とばかりに、昨年の5月から始めた筋トレは
私の体のフォルムや心持ちだけでなく、時間管理の感覚も変えた。
ラジオ体操と筋トレのある生活をして、21:00に就寝となれば
自ずと、自分のルーティンの組み立てを考えるようになる。
それを考え始めると、
今まで自分が無駄遣いしてきた時間という資源について、
「うわあああ!!もったいなかったあああ!!!」と、
地団駄踏みながら叫ぶしかない。
で、立ち上がって軌道修正しながら、再び歩き出す。
■時々刻々、どんどん変わっていいと思っている
この世界に、変わらない良きものも沢山あるし、
ずっとずっと大切にしたいものは色々あるが、
「人間は、変わる事で進んでいく」という思い込みが強くて
自分の過去と整合性がなくても、一貫性がなくても、
まったく気にしないで、時々刻々どんどん変わっていいと思っている。
朝令暮改と言われたら、君子豹変すだと受け流す。
更新とか、上書きとか、新しいアプリを入れたり、何ならOSも取っ替えたり、
人間も日々アップデートするのだ。
…くらいの心意気で。
■何てことない顔をして、『日常』は、かけがえが無く豊かだ。
時間を大切にと考え始めると、
毎日が実はすごい恵まれていた状態であることを再認識する。
病気やケガや、大きな悲しみや辛いことに遭遇して
非・日常の状態に入るとすぐに分かるけれど、
何てことのない日常は、
ものすごく豊かで、希望と可能性に満ち満ちている。
両親を見送って、
逆縁を許さないと言うマイルールの中では、
家族の中で順番的には、次は私だ。
勿論、簡単に見送られるつもりはさらさらないので
まだまだ充分満足するまでは、この世界にのさばる予定ではある。
でも、両親の人生を教訓に学ぶ事は多くあり、
自分なりの整理整頓は、日常生活と並行して進めていくつもり。
『終活』という言葉は、どうもしっくりこないから使わない。
■本日は特定健診へ
昨年は、コロナの影響で受診しなかったけれど、
毎年同じ時期にやれば、
データとして積み上がって自分の変化も把握しやすい。
・・・と、担当の先生もおっしゃっていたっけ。
次の10年に向けて、地味に地道に
楽しむ気持ちを忘れずに、歩いて行こう、
人間は、どうしたって一人なのかも知れないけど、
だからこそ、一人じゃない生き方も、自分で選べるんだと思うよ。