2021/03/24

「もったいなかったぁ~」と叫びつつ、再び歩き出す

 ■気がつけば10日過ぎていた。

新型コロナが収束して、面会が再開されて、会いに行っても

病室にはもう母はいないのだなと…


そんな当たり前の事を、何度も自分の中で反芻していて

一向に実感が湧かない。


■7年前に父を見送った時のように、

時が解決してくれるのをゆっくり待つしか無い。

父は、らしいと言えばらしいくらいに、あまりに突然だったけど、

母は、1年という時間をくれた。


この1年は、母がくれた文字通り命がけの時間だった。

家族達の中で、私が一番先に立ち直ることでその思いに応える。

その愛をしっかりと受け止めたいと思う。


■受け入れてしまって先へ進む方が早い

この1年、コロナで面会が出来なくなって

それでも、離れた場所から毎日決まった時間に

あるいはその時々に、母を思って、祈りと願いを送っていた。


自分を元気にして、出てきたエネルギーを母に伝えて、

それが、母の生命の力に少しでもなればと…

見えない思いを祈りにして、どんな形にしてでも母に届けようと。


コロナはもう、既に起こってしまった現実だから変えようがない。

だから、その状況下でも出来る事をするのが、文字通りの最善。


これまでのように触れることも言葉をかけることも出来ないなら、

もう、祈りと願いを届けるしかない…そんな風に思っていた。


■そのためには、自分自身が元気でいる事が大前提。

目標がハッキリすれば、即行動に移すと流れは加速する。

…とばかりに、昨年の5月から始めた筋トレは

私の体のフォルムや心持ちだけでなく、時間管理の感覚も変えた。


ラジオ体操と筋トレのある生活をして、21:00に就寝となれば

自ずと、自分のルーティンの組み立てを考えるようになる。


それを考え始めると、

今まで自分が無駄遣いしてきた時間という資源について、

「うわあああ!!もったいなかったあああ!!!」と、

地団駄踏みながら叫ぶしかない。


で、立ち上がって軌道修正しながら、再び歩き出す。


■時々刻々、どんどん変わっていいと思っている

この世界に、変わらない良きものも沢山あるし、

ずっとずっと大切にしたいものは色々あるが、

「人間は、変わる事で進んでいく」という思い込みが強くて

自分の過去と整合性がなくても、一貫性がなくても、

まったく気にしないで、時々刻々どんどん変わっていいと思っている。


朝令暮改と言われたら、君子豹変すだと受け流す。

更新とか、上書きとか、新しいアプリを入れたり、何ならOSも取っ替えたり、

人間も日々アップデートするのだ。


…くらいの心意気で。


■何てことない顔をして、『日常』は、かけがえが無く豊かだ。

時間を大切にと考え始めると、

毎日が実はすごい恵まれていた状態であることを再認識する。


病気やケガや、大きな悲しみや辛いことに遭遇して

非・日常の状態に入るとすぐに分かるけれど、

何てことのない日常は、

ものすごく豊かで、希望と可能性に満ち満ちている。


両親を見送って、

逆縁を許さないと言うマイルールの中では、

家族の中で順番的には、次は私だ。


勿論、簡単に見送られるつもりはさらさらないので

まだまだ充分満足するまでは、この世界にのさばる予定ではある。


でも、両親の人生を教訓に学ぶ事は多くあり、

自分なりの整理整頓は、日常生活と並行して進めていくつもり。


『終活』という言葉は、どうもしっくりこないから使わない。


■本日は特定健診へ

昨年は、コロナの影響で受診しなかったけれど、

毎年同じ時期にやれば、

データとして積み上がって自分の変化も把握しやすい。

・・・と、担当の先生もおっしゃっていたっけ。


次の10年に向けて、地味に地道に

楽しむ気持ちを忘れずに、歩いて行こう、

人間は、どうしたって一人なのかも知れないけど、

だからこそ、一人じゃない生き方も、自分で選べるんだと思うよ。