私の年代は、
自分では経験していなくても
生きている経験者から聞いていることが実は結構ある。
父方の大叔父は原爆投下の数日後に現地に入ったという。
隣接する県だから、母方の大叔父・大叔母達は、
逃れてきて亡くなった人々を知っている。
語れないこと、語りたくないこと、
あって当たり前なのだと思う。
あって当たり前なのだと思う。
「広島ってとこはね、
被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。
ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない」
(『自由について 七つの問答』)
被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。
ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない」
(『自由について 七つの問答』)
この言葉の本当の重みなんて、
私なんぞに理解できるはずもない。
だから、身内からの伝聞であっても
軽々しく語ったりするはずもなく、
ましてや、
的外れな『デモ』で騒ぎたてる人々の
傲岸不遜な主義主張など聞く耳も持たない。
日本人として、黙祷するだけだ。