2021/03/14

でも、泣くのはもう少し後だ。

 ■今日未明、母が天に召された

この数日、

考えたくないと思いながらも考えなくてはいけないことで

頭の中がグルグルしていた。心臓はバクバクしていた。


日常に取り紛れたふりをして、

考えても仕方ないことは考えないようにしようと

結構…努力してた。


「もう、いつ何が起こっても…」と言われてから1週間も、

母は頑張ってくれた。

去年の3月に、同じように言われた日から、1年が過ぎていた。

もう、充分過ぎるくらいだ。


最後の最後まで、母はしっかりと「おかあちゃま」だった。

悲しいのは悲しいけれど、この悲しみは全部、感謝に変わっていく。

そう言う時間を、母は自分の命を削って与えてくれた。


■まだ、あたたかかったのに

病院に到着した時には、母はもう呼吸をしていなかった。

ああ、楽になったんだね。やっと自由になったんだね。

本当にお疲れ様でした。

ありがとう。

大好き。

安心して下さい。私達、頑張るから。


■長いこと患ってはいたけれど、家族はいつも側にいた。

でも、コロナの影響で、触れることも出来なくなって1年。

ずいぶんと淋しい思いをさせてしまった。


「もう何も分からないと思いますよ」と言われていたけれど、

マッサージをしたり、話しかけたりすると、

動いたり、声を漏らしたりした。

ハッキリと伝えることが出来なかったとしても、

私と妹はシッカリ受け取った。


この状況下で面会を許されたこと自体、母の容態の深刻さを示していた。

それから3日、ホワイトデーに母は旅立った。

会わせて下さった病院の方々に心から感謝している。


■妹が旅立ったのは、バレンタインデーだった

元気だった妹が、1歳半で予防接種を受けてから突然高熱を出し

ずっと死線をさまよい、

生還した時には重度の脳性麻痺になっていた。

しゃべれない、食べれない、オムツのまま、毎日けいれんを起こす。


28歳まで生きたのは奇跡、

母の愛の起こした奇跡だったと思う。

入退院を繰り返し、

何度も危篤になりながら生き抜いてくれた妹は、

家族の宝物だった。


その世話をし続けた母は、そして、失ってしまった母は、

一体どんな思いでいたことだろう。

バレンタインデーに天に召された妹のところに、

ちょっと歳月は過ぎているけれど、

ホワイトデーに、母が旅立った。


これじゃあ、忘れられっこないじゃない。

・・・もう、ほんとにもう、大好きだよ二人とも。


■明日、7歳の誕生日を迎える家族がいる

つながれていく命の絆は、

前を向いて歩いて行こうと言っているのだ。

明日、空に昇っていく母と、大地の上で時を重ねる子供。

どちらも愛しくて大切な家族。


どこにいても、何をしていても、大丈夫。

ちゃんと見ていてくれるだろう。

私達は、歩いて行くよ。


・・・泣くのは、もう少しあとだ。

今は、やることをちゃんとやるよ。