■今日未明、母が天に召された
この数日、
考えたくないと思いながらも考えなくてはいけないことで
頭の中がグルグルしていた。心臓はバクバクしていた。
日常に取り紛れたふりをして、
考えても仕方ないことは考えないようにしようと
結構…努力してた。
「もう、いつ何が起こっても…」と言われてから1週間も、
母は頑張ってくれた。
去年の3月に、同じように言われた日から、1年が過ぎていた。
もう、充分過ぎるくらいだ。
最後の最後まで、母はしっかりと「おかあちゃま」だった。
悲しいのは悲しいけれど、この悲しみは全部、感謝に変わっていく。
そう言う時間を、母は自分の命を削って与えてくれた。
■まだ、あたたかかったのに
病院に到着した時には、母はもう呼吸をしていなかった。
ああ、楽になったんだね。やっと自由になったんだね。
本当にお疲れ様でした。
ありがとう。
大好き。
安心して下さい。私達、頑張るから。
■長いこと患ってはいたけれど、家族はいつも側にいた。
でも、コロナの影響で、触れることも出来なくなって1年。
ずいぶんと淋しい思いをさせてしまった。
「もう何も分からないと思いますよ」と言われていたけれど、
マッサージをしたり、話しかけたりすると、
動いたり、声を漏らしたりした。
ハッキリと伝えることが出来なかったとしても、
私と妹はシッカリ受け取った。
この状況下で面会を許されたこと自体、母の容態の深刻さを示していた。
それから3日、ホワイトデーに母は旅立った。
会わせて下さった病院の方々に心から感謝している。
■妹が旅立ったのは、バレンタインデーだった
元気だった妹が、1歳半で予防接種を受けてから突然高熱を出し
ずっと死線をさまよい、
生還した時には重度の脳性麻痺になっていた。
しゃべれない、食べれない、オムツのまま、毎日けいれんを起こす。
28歳まで生きたのは奇跡、
母の愛の起こした奇跡だったと思う。
入退院を繰り返し、
何度も危篤になりながら生き抜いてくれた妹は、
家族の宝物だった。
その世話をし続けた母は、そして、失ってしまった母は、
一体どんな思いでいたことだろう。
バレンタインデーに天に召された妹のところに、
ちょっと歳月は過ぎているけれど、
ホワイトデーに、母が旅立った。
これじゃあ、忘れられっこないじゃない。
・・・もう、ほんとにもう、大好きだよ二人とも。
■明日、7歳の誕生日を迎える家族がいる
つながれていく命の絆は、
前を向いて歩いて行こうと言っているのだ。
明日、空に昇っていく母と、大地の上で時を重ねる子供。
どちらも愛しくて大切な家族。
どこにいても、何をしていても、大丈夫。
ちゃんと見ていてくれるだろう。
私達は、歩いて行くよ。
・・・泣くのは、もう少しあとだ。
今は、やることをちゃんとやるよ。