■うっすら気がつく4周目
5年日記をつけ始めて4年目、
「あれ?」と思うことが時々ある。
1年前、2年前、同じ頃に同じような体調不良がある。
メニエールだったり、腰痛だったり、同じ頃に具合が良くない。
その時期に体調バランスを崩す傾向があるのか?
経年劣化でそうなっているのか?
まあ、面白いなと思うと同時に、何となくどうにかしたくなる。
加齢による変化を0には出来ないけれど、
速度は変えられるんじゃないかと思う…んだよね。
■数日前、母の病院から連絡が入った
もう、嫌な予感しかしない。
軟弱な私は、深呼吸が出来なくなって、
身体の末端が冷たくなってくる。
すぐに行って説明を受ける。
案の定、
「いつ何が起こってもおかしくないと思って下さい」
経緯と検査結果と、予測される事態を告げられる。
昨年からずっと禁止されていた面会も、
状況を考慮されて、短時間だけど許可された。
それがすなわち、
母の容態の深刻さを表していた。
■それから数日が経った…
今も毎日が断続的な緊張感を伴って過ぎていく。
電話が鳴るのが恐い。睡眠は浅く、食欲も落ちる。
でも、現実に対応するために、食べる、眠る。
実際にはしっかりは眠れないけれど、
目を閉じて休めれば良い。
気力を保とうとして色々考えるから、
頭の中が、
悲観、楽観、緊張、弛緩、恐怖、悲嘆、焦燥、諦観、祈り、願い、
…総て交ざって混沌で満ちる。
■それでも習慣化されているから、日記を書く、筋トレをする
見ると丁度1年前…まったく同じ事が書いてある。
まるで予言の書のようだ。
コロナ渦が拡大する中、母の容態が急変した。
考えたくない結末を回避しようと、もがき、苦しみ、
高い岩山の稜線を、這いながら進んでいるようだった。
そうか、1年過ぎていたのか。
で、この1年、私はいったい何をしていた?
母が、文字通り命がけで作ってくれていた、
この1年という時間。
…ラジオ体操と5分筋トレと日記と食事記録はしていたな。
すごいな、習慣化。
■どんなに嫌でも、考えねばならないことはある
母の『その時』のことを
何も考えないわけにはいかない。
代わりに対処してくれる人などいない。
気持ちをシッカリ持って、
やるべき事をやらねばならない。
でも、気持ちの乱高下があまりにひどくて
とても疲れる。
だから、
少しでも自分の気持ちを保てるような『言葉』を探し、
くり返し心でつぶやきながら、
自分で自分を支える。
母の回復を、
強く強く祈り、念じ、信じ、願いながら、
その一方で粛々と備えねばならない。
矛盾しているようで、これらは両立する。
■1年も与えられていたことに、ただただ感謝
命のことは神様の領域。
だけど、
人の身として出来る事は全部やる。
母は、痛みと苦しみに耐えて
ここにいてくれている。
旅立って欲しくないというのは、
子である私のワガママ。
本当は、
楽になれる方が幸せなのかも知れない。
だけど…
でも…
答えなんか出せない。
神様の奇跡が起こることを強く願って、
自分に出来る事をやる。
■いろんな事がペースダウンしたり、ストップしてた
予定がクリアできておらず、先送りにしたものも沢山ある。
このままだと、ゆっくり追い詰められていくだけだ。
ブログ更新も、止まっていた。
書いていれば、
何か気持ちの整理も付きやすかったのかも知れない。
だけど、書けなかった。
ほんと、根性無しのナマケモノ。
心を乱していたって、
頭の中がグルグルだって、
現実的に動いていれば、
何か違う展開、流れも見えた可能性がある。
ホント、行動することでしか変化は起こせない。
■もう腹をくくって、匍匐前進の気持ちで
ジリジリと進もう。ちょっとずつでもいい。
止まっているよりはマシ。
時間は有限、
しかも、母が命をかけて与えてくれている宝物のような時間。
無為に過ごすのは、絶対に嫌だ。
・・・と、言いながらも、
日常を冷静に過ごすので精一杯。
油断すると叫びだしそうになる(T-T)
■言葉と習慣に助けられている
家族の世話も大切な日常だけど、
自分の健康の維持も大事な習慣。
隙間時間をちょこちょこ使って
書籍やネットで集めてきた言葉と、
昨年から始めた5分筋トレ&運動習慣、
自分の食事の記録、日記、
蓄積してきた言葉と習慣に地味に支えられながら、
今日も与えられた時間に感謝しつつ、
出来る事を積み重ねる。
筋トレをしている間は集中するので、
辛い気持ちも多少は薄らいでいる。
testosteroneさんのおっしゃるとおり、
筋トレは最強のソリューションかも知れない。
…って、偉そうに言えるほど
やってはいないけどもさ。
■ここからの1年、大きく変化させよう
この1年間では達成できなかったこと、
得られなかった成果、
それをここからの1年で、変えてやろう。
身体には、
1年前にはなかった筋肉が少し付いた。
心の筋肉も増やして、
母に命のエネルギーを伝えよう。
祈りはきっと届くと信じて。
そこから先は神様のお仕事だから、
お任せすれば良い。