2011/09/24

立ち上がる者

突然降りかかる理不尽に、許せない!と思う事は間違いじゃないと思う。
憤り、怒り、憎しみ、同じくらいの苦しみ、悲しみ、そして後悔。
どこで間違えたのか?何がいけなかったのか?見落としたものは?

100%悪意の悪人なんて存在しない。
その人間なりの「善意」が、他の人間にとって「善」でないだけ。

分かりあう気持ちの欠片も無しに、互いに互いの主張と正義だけを貫けば
人間というものは便利なもので、次第に自分が被害者に思えてくる。

自分以外の誰かが悪くて、自分以外の何かが悪くて、
そのせいで今、自分がこんな目にあっていると思ってしまう。

そして、意味のない総力戦になる。
意味もなくみんなが傷つく。

何処にも勝者がいない、誰も幸せにならない。
明るい未来が何も見えない、失ったものばかり数えて苦しむ。

そんな、長い長い苦しみの果てに、私がとうとう辿りついたものは
「受け入れる」ことだった。

納得なんかしない、できない。
でも、気持ちをくんでみる事なら出来るだろう。
自分の気持ちをどこかに置いて、相手の気持ちをいっぺん全部飲み込んでみる。
頭の中で反論しない、抵抗しない。
相手の心を、想像のできる得る限り丸ごと飲み込んでみる。

相手にそれが出来ないなら、私がするしかないだろう。
目指しているのは解決であって、相手を壊す事ではない。
でも、これは決してきれいごとじゃない。
ただ目的を果たすために、遠回りに見えて一番の近道だと信じる。

そうか、辛かったんだね。
そうか、欲しかったんだね。
そうか、壊されたくないのか。
そうか、邪魔されたくないのか。

次第にゆるゆると解かれていく心の茨の囲み。
相手を受け入れたのに、
最初に救われたのは自分の心だった。
なんて不思議な事。

焦っても仕方がない、失うのが命じゃないならいい、生きていればいい。
傷つかなければいい、悩んでも学んでくれたらいい。

私は社会の正義の味方じゃない。
私は慈悲溢れる神様ではない。
だけど、気持ちをくむ事はできるよ。
理解することはできるよ。

失うものも覚悟しよう。
諦めねばならないものは諦めよう。
何が正しいかなんて、誰が正しいかなんて、
いつか自分の心だけが知るよ。

この気持ちが届かなくても、愛する者の幸せを願っていよう。
出来るだけのことをしよう。
無理やり力づくで動かそうとしても、
それはきっと歪みを生むだろう。

絶対に避けなければいけないラインだけは確実に防いで、
それ以外は自分で分かるまで耐えよう。

未熟でも、愚かでも、自分が選んで自分がやった事の結果
やはり、自分が受けるしかないんだよ。
唆したり騙したりした人がいたら、ちゃんとその人もそれなりの結果を得る。

人生のツケは、ちゃんと自分で支払うようにできている。
『天網恢恢、疎にして漏らさず』なのか『因果応報』なのか分からないけど。
ツケを払う日は、誰にも必ず来るんだ。

これは、許すという事じゃないかもしれない。
許しは赦し…それは神様のお仕事。

人間の私に出来るのは、納得できなくても理解してあげる事だけ

これは私に与えられた課題でもあるんだな、
強くなれ、逞しくなれ、しっかりしろって。
そしたらいくらでも優しくなれるんだって。
ちょっとやそっとのことでグラグラしないガッチリした土台を作ろう。

その為に、かっこ悪くてもみっともなくても、沢山の人の知恵を借りよう。
「助けて!」って泣き言を言ってみよう。

そして目一杯努力しようと思う。
そしたらいつか、私も誰かの力になれる日が来る気がする。

生々流転、変わらないものなどない。
悲しみも苦しみもいつまでも続かない。
何を受け入れても揺るがない人間になろう。

いまはもがいていても、ジタバタ騒いでいても
少しずつ少しずつ、強くなっていこう。
うずくまっていると、見えなくなる、聞こえなくなる、動けなくなる。

打ちのめされても立ち上がる者になろう。

沢山の人の温かな気持ちに支えてもらった
嬉しくてまた少し泣き虫になった。

しっかり眠ろう、明日からの為に。
投げ出さない者は、いつかやり遂げるんだと信じて。