■少し安堵している自分を感じる
母の五十日祭(仏教では四十九日)を無事に終え、
悲しみや寂しさは胸に残していても、
これから、また新しい日々が始まる。
この安堵の気持ちは、
母が本当の本当に、いなくなってしまったのだと言うことを
静かに受け入れたのかも知れない。
もう、苦しいことも辛いこともなくて、
懐かしい人達と再会し、安らいで、幸せでいるんだと。
父も、妹も、祖母も、母の両親も、先に旅立った母の姉妹達も、
きっとみんな一緒にいて、楽しくおしゃべりしているよね。
■本当にちょこちょこと体調を崩した
自分が思っていたほど頑強な精神ではなかったのか、
こんな年齢になっても、親を亡くす事の衝撃は大きかったのか
先月は、バカみたいに頻繁に体調を崩してしまった。
5分筋トレすら出来なくなっている自分に、自分が一番驚いた。
腹立たしいやら、情けないやら、でも、出来なかった・・・orz
朝の「みんなの体操&ラジオ体操」だけは、
なんとか死守したいと思ったけれど、それも何回かはサボッた。
食欲は不安定で、食べられないこともあったし、
逆に壊れたようにドカ食いする事もあった。
(胃と背中が痛くなって、すごく後悔した)
内耳から首にかけて鈍い痛みが続いて、
しばしば音の聞き取りに不自由した。
ちょっと油断すると、
母のことを思い出しては涙がほろほろ出た。
24時間、家で介護していたと比べれば、
病院に入ってからは、緊急時の安心感はあったけど、
淋しい思いもさせたから、どこか悔いが残っているのも事実。
昨年からはコロナのせいで面会さえ出来なくなり、
そんな中での急変だったから・・・忸怩たるものがあるのは仕方ない。
そうよ!いいじゃん、泣いたってさ(T-T)
■メニエール持ちは、一病息災を心掛ける
気力はあっても、めまいを起こして動けなくなることもあった。
こうなると、この季節の我が家の風物詩、
私の「春の脚立登り」が不可能になる。
まあ、単に、日差しがきつくなる前にサンシェードを軒下に張るだけ。
でも、160㎝の私が180㎝の脚立の最上段に立って、
さらに両手を伸ばしてやる作業だから、結構・・・怖い(笑)
しかも庭に向かう東面と南面合わせて5張だし、
1張は3m四方くらいだから、サイズも重量もそれなりにある。
メニエール持ちにとっては、「ここでめまいを起こすと・・・」と考えると
ちょっと命の危険を感じて正直ビビった。
母のすぐ後に、私が脚立から落ちて・・・何て、本当に洒落にならない。
メニエールは完治はしないと言われるなら、
「目指せ!一病息災!!」をひとりスローガンに掲げ、
地味に地道に健康維持を心掛けてきた、このウン十年なのだ。
睡眠不足・過労・ストレス、これらはメニエールの大敵だけど
世界中、全部の生命の健康にとっても大敵。
上手に工夫しながら回避して、自分を大事に&鍛えながら生きよう。
■人生の折り返し地点
昨年、大きな節目の年を迎えた。
それから3ヶ月後に母を見送ることとなった。
これはもう、多分、そういうことなのだろう。
新しい人生を始める。
年齢は単なる数字です・・・と、
90歳を越えた筋トレインストラクターが力強くおっしゃる。
加齢を言い訳に、逃げていても仕方が無い。
なりたい自分に向かって、やりたい事は全部やってみよう。
新しい人生は、まだ始まったばかり。
この5月は、これまでとは違うものにしてみよう!・・・と思う。