2013/02/11

鄭春河さんって、知らなかった

Facebookで、見つけた文章に、ふと目が止まった。

(全文は長いので、途中少しずつ略させてもらいました)


~終戦50年を迎えて アジアからのメッセージより~

私は現在中華民国台湾の人民だが日本統治時代には日本人であった。

(中略)

そもそも戦争に勝つとか欺けるとかは第二義的なことである。
大事なことは

①戦争目的が正しかったか否か。
②国民はその目的に従ってどう戦ったか。
③その結果戦争目的を達成したか否か。


これこそが戦争の第一義である。

かかる観点に立てば大東亜戦争の戦争目的は正しかった。

日本は決してアジア諸国民を相手に戦ったのではない。
 

アジアから欧米植民地勢力を追い払う目的に向って
国民は最後まで勇戦した。
その過程においては、
太平洋の島々で玉砕し、特攻隊まで繰り出した。

重ねて申すが大東亜戦争は絶対に侵略戦争ではなかった。
 
その証拠に、日本が南方諸地域に進出すると、
まづフィリッピン、ビルマに独立を与え、
インドをはじめ、アジア諸国に独立を約束した。
 
そして1943年(昭和18年11月)東京で大東亜会議を開いた。
 
参加国は日本、満州、中国、フィリッピン、ビルマ、タイ、インドであった。
 
その時採決された「大東亜共同宣言」の綱領五ケ条は
今なお記憶に新たなるものがある。

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し、
  道義に基く共存共栄の秩序を建設す。
 
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し、互助敦睦の実を挙げ、
  大東亜の親和を確立す。
 
一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し、各民族の創造性を伸暢し、
  大東亜の文化を昂揚す。
 
一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し、
  其の経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進す。
 
一、大東亜各国は万邦との交誼を篤うし、人種的差別を撤廃し、
  普く文化を交流し、進んで資源を開放し以て、世界の進運に貢献す。

以上の五項目のどこに侵略とか支配とかを見出すことが出来ようか。
 
しかもこの大東亜共同宣言は、
奇しくも戦後1955年バンドンで開かれたAA会議の
平和十原則を想起させるものがある。
 
平和十原則は、
主権尊重、互恵平等、相互不可侵、内政不干渉、平和共存 
の五項目を骨子とするものである。

このように日本がアジア諸国に独立を与えたのは、
決して米、英、蘭が東南アジアで試みたような
植民地にするためのものではない。
 
(中略)

日本の政治家よ。忘るるなかれ。
 
皆さんの祖国日本は、
現在生きている者だけの所有物ではない。
 
過去、生きていた日本人のものであり、
同時に子孫に責任をもって健全な形で引き継ぐべき
かけがえのない国であることを。 

鄭春河(台湾、会社顧問)
 

『鄭春河』という人の名前を私は知らなかった。

検索をかけてみると、 


こちらのブログは、
『ねずさんのひとりごと』というブログ。


そちらで、見つけたのが鄭春河さんのこの文章。

こちらの方も長いので少し略させてもらったけど
私は、読んでいて…
なんだか…泣きそうな気持になった。 

(※本当は、全文を読んで頂きたいのですが
  下記のURLからは全文が読めます↓) 

 

【日本救国の道】台湾・鄭春河

大正の御代に生まれた我々は確かに幸せ者であった。
 
正しい日本の教育を受けて、千載一遇の太平洋戦争に参加できた。
敗戦とはなったが我々は最期まで奮戦した。
 
波乱万丈の体験を重ねて
「盡忠報国」の精神と国民道徳を今もなお身につけている。
これに勝る幸せがあろうか。

ところが、一番哀れなのは
戦後の亡国思想教育を受けた日本国民である。

何故、等しく大和民族の血を受けていながら、
半数以上の日本人が日本人らしくない異質の民族に成り果てたのか。
それは他ならぬ、日教組がしからしめたのである。

日教組は次代を担う子供たちに、

「国家・君が代を歌うな、国旗・日の丸を揚げるな」と躾けて、
子供の情操教育を潰し、
国民意識・国家意識を喪失せしめ、
祖国日本を亡国に導こう と活動している。
(中略)

「君が代」と「日の丸」は一体どこが悪いのか。
 
日本の国体に最も相応しい、
美しい国旗であり、奥ゆかしい国歌ではないか。
 
(中略)

中華民国でさえ、
「国歌を歌うな、国旗を掲げるな」という輩があれば
途端に非国民反乱罪として投獄されてしまう。
 
総統府、各官衛とも毎朝「升旗典礼」(国旗掲揚)という朝礼を行う。
道行く人馬や車など、即座に直立不動の姿勢で敬意を表する。
 
これが世界各国の仕来たりであるのに、日本だけが出来ない、
また、やろうとしないのは残念の極みである。
(中略)

さて元に戻るが、
更に最も甚だしきに至っては
「靖国神社に参るな、大臣も国会議員も参拝するな。
 日本は侵略したのだから、死んだ兵隊に敬意を表すことはない」
と日教組は子供たちに教え、

更に
「日本は悪いことをした。
 お前達の祖父達は侵略の手先となって悪い事をした!」と、
50有余年も繰り返し洗脳し続けてきた。

子供達はそれをまともに信じて、
祖国日本に生まれたことを有り難く思わず、
中には憎悪を抱く者まで現れた。
 
祖父や親達をバカにして言うことを聞かず、
勝手な行動をして平気で人に迷惑をかけたり、犯罪を犯すなど、
道徳も道義も廃れて今日のような混沌の世の中になってしまったのである。

「祝祭日には国旗を掲げましょう」
「式では国歌を斉唱しましょう」

と、国では国民に呼びかけているが、

昔の我々は小学校に入る前から躾けられていて、
誰でも出来ることで神社参拝も世の仕来たりであり、
言われるまでもないことだ。
或る高校の教諭から聞いたことだが、
 
「私の勤めている高校では、先生(高教祖)が生徒に 
 『祝祭日に国旗を立てるのは非国民だ!』と言う。
 とてもこれが日本人の先生とは思われないような発言をいつもしていて、
 生徒達も感化されている」 

とか。

生徒も 
「隣近所が旗を立てないのに、
 家(うち)だけが立てるのもおかしいから止めたよ」
 と言う。

何と情けないことか。
聞いただけでも気が遠くなる。
その親達も日教組の亡国教育を受けた世代だからどうにもならない。

毎年8月には日本の大学生が、10数名ばかり台訪することになっている。 
学生達と2日間付き合ってみると日本の様子がよく分かる。
 
学生達の話では、

「教育勅語や靖国神社のことは、
 最近、教授の口からぼつぼつ出るようになりましたが、
 学課ではないので詳しいことは知りません。
 靖国神社にも参拝したことはありません」。

かように教育の基本人倫の常経、天地の公道である教育勅語と、
祖国日本の為に犠牲になった戦没者をお祀りした靖国神社を、
次代を担う子供達に教えないようでは、
どうして祖国の真の復興が望まれようか。
(中略)

太平洋戦争に負けたから日本はこんな非常識な国になったのか。
否、そうではない。

戦後の7年間でアメリカの占領政策によって
こんな国にされてしまったのだ。

太平洋戦争は3年半余りに亘ったが、
占領期間が何故7年間もの長期に亘ったのか、
それは徹底的に日本国民を精神的、思想的に改造するためであった。
 
占領政策は、「占領憲法」「東京裁判」
それに30項目にわたる徹底的な「言論統制」の3本柱である。

言論については検閲を徹底的に行い、
しかも検閲や統制をしているということを国民には極秘にして
秘密の漏洩を防ぐという、
このような陰湿なやり方で行ったのである。

そして 

「日本国民は悪くない、悪いのは軍人だ。
 戦前の教育は全て悪い。
 神道も悪い。
 道徳教育も個人の自由を損なうから悪い・・・」 

と、戦前の日本はすべて「悪」と決めつけられた。

要するに勝者の白人は正義で、
敗者の日本は不正義で、
その最も極端なのが東京裁判であり、
日本を侵略国として断罪した。
 
(中略)

要するに日本を徹底的に打ちのめし、
日本を二度と立ち上がれないようにすることが
占領政策の目的であったのだ。

彼等は完全に目的を果たした。

これに日教組や共産党が上乗りして、
アメリカの意図以上にマインドコントロールを徹底したことである。

残念乍ら日本人の大部分はマインドコントロールから覚めていない。

(中略)

日本人は、太平洋戦争は絶対に侵略戦争ではないこと、
従来の「東京裁判史観」は間違っていたことを認識して、
日本の正しい歴史を勉強し、
日本が過去に果たした歴史上の役割に自身と誇りを持って、
堂々と胸を張って世界に邁進すべである。
 
そのためには
一刻も早く誤った歴史認識と戦争犯罪贖罪意識から脱却し、
目覚めることが先決である。

万世一系の皇室という素晴らしいものを持っていながら、
今の日本人の大部分はそれを忘れれいるのか、
或るいは故意に無視しているのか。

靖国神社に天皇陛下の御親拝、
総理大臣が参拝することまで
隣国に気兼ねしなければならない日本が、
本来の日本に戻れるのはいつになるのであろうか。
 
日本同胞の反省と奮起とを切に御祈念申し上げる次第である。

 平成9年6月30日
   鄭 春河(台湾台南市中華南路 在)
 
 

どんなに大勢の人が主張する事でも、
自分が違和感を覚える事にはどうしても同意できない。

自分以外の人が全部反対意見であっても、
自分が理解・納得できなければ、NoをYesとは言えない。

その為にどんな思いをしても、
どれほど非難されても誹謗中傷されても
どんな誤解や理不尽にさらされても

やっぱり自分の心が正しいと思う事を
流されて、保身のために変える事はできない。

真実は強い・・・と思う。

でも、それが明らかになるのに時間がかかり過ぎると
嘘や捏造が、真実としてまかり通ってしまう事がある。

だから、注意深く見ていよう。

誰が言っている事が、やっている事が、
本当の真実であるのか。

声高に叫んだり、誰かや何かを糾弾したしなくても
戦う事はできると思う。

選択権は、一人一人にある。

それを示せる場所も、ちゃんとあるはずだ。

私は、私が愛する者、愛する国を大切にしたい。
自分なりのやり方で構わないと思う。

国を愛するという気持ちは、
国を守りたいと思う気持ちは、

家族を愛し守りたい…とう気持ちと繋がっている気がする。

小さな一人一人が、
揺るぎなく国を思う真摯な気持ちが
きっとこの国を支えると思う。