2025/09/24

「清掃の日」(9月24日)&「環境衛生週間」(9/24~10/1)を、個人レベルで楽しむ

今日、9月24日は「清掃の日」。

9/24から10/1までの8日間は、「環境衛生週間」。


『清掃の日』は、

「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」が

 1971年のこの日に施行されたことにちなんで制定。

厚生省が2000年(平成12年)まで実施し、

その後は環境省に移管。

「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(「廃棄物処理法」)は、

廃棄物の排出抑制と処理の適正化により、

生活環境の保全と公衆衛生の向上を図ることを目的とした法律で、

廃棄物の適正な分別・収集・運搬・保管・再生・処分

などに関する規則が定められている。

環境省が中心となり、

廃棄物の減量化・リサイクル、ごみの散乱防止、

公共施設の清潔保持などの啓発活動が行われる。

 

・・・らしい(笑)

せっかくだから、「清掃の日」を個人レベルで楽しんでみる。


まあ、お掃除は毎日のことなんだけど、

ある意味、習慣化している日常行動なので、

思うようにはキッチリと出来ていなかったりするし、

ついつい後回しになってる箇所も、当然そこそこある。

大晦日前だけってのは無理があるワケ(笑)

 ちょいちょい、折を見て隙を見てやっとけば

ちょっと未来の、年末の自分が楽になるんだろうなと思う。


実際6月末には、「夏越の祓(なごしのはらえ)」として

今年前半の汚れを落としますよーっていう年中行事(?)もあるし、

こういう日や、期間をきっかけにして

できていなかったお掃除を、

思い切ってちょっと時間を多めにとってやるのは

意外とgoodではないか?


今日のところは、意識して

普段違うことに使っていた時間を、多めにお掃除や片付けに回そう(笑)

で、明日から10/1まではちょこちょこと、

気がついたとことか、気になっていたところとか、

無理のない範囲で着手してスッキリする方へ目と手を向ける。


環境が整うと、朝からそりゃあ気分が良い。

夜眠るときにも気分が良い。

気分良くいられるって、幸せなことだ。


大きな目標よりも小さな行動の方が

得てして人生には具体的な効果があるのである。

もちろん、夢を持つことは大変に素晴らしい!

目標はしっかりあった方が絶対に楽しいと思う。


だから、

大きな目標から逆算して、

その目標のために必要な、

毎日の小さな行動をバンバンやって行くのだ。

大事な事は、大抵、

地味なことの積み重ねによって手に入るものらしいから。


*******

「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」

1900年(明治33年)に、

伝染病の蔓延を防ぐために制定された「汚物掃除法」が基となっている。

この時に、ごみ収集が市町村の事務として位置付けられた。

この法律は1954年(昭和29年)に「清掃法」に改正。

1960年代になると、経済の高度成長に伴って、

大量消費・大量廃棄によるごみ問題が顕在化。

また、ごみ焼却場自体が公害発生源として、問題となってきた。

こうした問題に対応するため、1970年(昭和45年)の公害国会において、

清掃法を全面的に改める形で「廃棄物処理法」が成立し、

翌1971年(昭和46年)のこの日(9/24)に施行された。

2024/08/10

昔のジブリのキャッチコピーを懐かしむ

言葉の持つ力の威力は、
受け取る人にもよるのだろうけど・・・

イメージという意味合いで言うと、

ぎゅっと固めておいたまま忘れてた塊が

ぶわっと開いて、何なら香り付きな感じで

記憶に残る印象深いシーンが瞬時に浮かぶ。


■ 風の谷のナウシカ(1984)

「少女の愛が奇跡を呼んだ」(徳山雅也)

■天空の城ラピュタ(1986)

「ある日、少女が空から降ってきた…」(鈴木敏夫)

■となりのトトロ(1988)

「わすれものをとどけにきました。」(糸井重里)

■魔女の宅急便(1989)

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里)

■おもひでぽろぽろ(1991)

「私はワタシと旅にでる。」(糸井重里)

■紅の豚(1992)

「カッコイイとは、こういうことさ。」(糸井重里)

■耳をすませば(1995)

「好きなひとが、できました。」(糸井重里)

■もののけ姫(1997)

「生きろ。」(糸井重里)

■千と千尋の神隠し(2001)

「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」(糸井重里)

■ハウルの動く城(2004)

「ふたりが暮らした。」(糸井重里)


そして、これだけ歳月が流れると、

好きだった作品だけ思い出す。

あの頃、私は何をしていたかな?

年齢は忘れた(笑)

2024/03/14

会えなくなっても 親孝行

■「趣味は『親孝行』」という言葉を聞いた。

離れて暮らしている親御さん達と、

月に数回程度、食事会や旅行など一緒の時間を過ごすことを

長年の習慣としているという。

既に両親ともに見送った私は、

この回答に、瞬間、淋しさや切なさを感じてしまった。

それなりの年齢ではあったし、

ある程度の覚悟はあったのだけれど。


失ってから気がつく、より具体的に

もう、喜んでもらうことは出来ないのだ。

もう、何もしてあげることは出来ないのだ。

記憶の中の、なんてことの無い会話一つ一つが

何と大切な時間だったことか。


幾つになっても、親は親なんだな。


年を重ねれば重ねるほど、

様々な経験が増えるほど、

自分に対する親の思いを理解しやすくなり、

より複雑な感情を抱きしめることとなる。

親が嬉しそうな様子には

本当に心が満たされる幸福感を感じた。

でも、もう失ってしまったのだ。


触れることも、言葉を交わすことも、

2度とは出来なくなってしまったのだ。

何という淋しさ

何という切なさ

何という喪失感

何をやってたんだ?私は。

もっともっと、できることはあっただろう?


動かせない過去にウダウダしても仕方ない。

この感情の出口を見つけるしかない。


■もし、私が残していく方だったら?

もし、自分が家族を残して旅立った方だったら?

言葉を掛けることが出来なくなってしまった私は

どう思うだろうか?


・・・幸せであってくれたら嬉しい。


元気で、つつがない毎日を重ねてくれたら

もう、それだけでいい。

それを眺めているだけで、充分幸せに思う。

で、時々、家族で思い出話なんてしてくれたら

それで笑っていてくれたら、最高に幸せ。


・・・ああ、そうか、こんなところに答えがあった。


■私が幸せなら、家族も幸せなんだと・・・決める

こういう基準は人それぞれだから、

これは私の個人的な「最適解」。

「私が元気で幸せである事が、

先に旅立った家族の喜びになる!」

そう決めてしまえば、

会えなくなっても出来る親孝行は

私の中には間違いなく存在するのだ!


思い込みでも何でも良いじゃないか。

自己満足でも良いじゃないか。

心が深呼吸する、楽になる。


■では、「私の幸せ」とは?

では、会えなくなった家族を喜ばせるような

「私の幸せ」って何だろう?

私の幸福感の基準は、条件は、何だろうなあ・・・

これを、具体的に設定してみたいな。


大丈夫、私は元気ですよ。

いつか、もう少しだけ未来に 

そっちのみんなに会える日が来たら

ちょっとはほめてもらえるように・・・

今を楽しみながら、過ごしていますよ。

2023/10/12

冬の星座(歌詞付き)



美しい歌詞に心震える『冬の星座』 作詞者はバリバリの理系

夏場は4時台でもそれなりに明るく、

ウォーキングに出る時間は適当で良かった。

歩きながら徐々に明るくなっていく景色に浮かれ、

気分良くずんずん歩いて、毎朝4~5km。

帰着したらシャワー軽く浴びて汗を流し、

体組成計に乗って記録をチェック。

ラジオ体操が済んだら、一日が始まる。


が・・・今、5時半でもまだ暗い。

歩くのにはちょっと躊躇、これは粗忽者の危惧。

落ちてしまいそうな川や畑や田んぼがそこかしこにある。

懐中電灯を持ってまで行くほどの情熱はない。


ウォーキング時間を、少しばかり後ろにずらして、

習慣となっている6:25からのラジオ体操は、

NHKプラスで後から追いかけると決めた。

ま、テキトーに(^▽^)


秋から冬に向かうこの時期の星々は、

ひんやりと冴えた空気の中で

深呼吸したくなるほど美しい。

時間をずらしたから、

見える星は少なくなっているけど、

金星は美しく朝の空にある。

のんきに歩きながら、

母が好きで歌っていた歌を思い出す。

『冬の星座』


木枯らしとだえて さゆる空より

地上に降りしく 奇しき光よ

ものみないこえる しじまの中に

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


ほのぼの明かりて 流るる銀河

オリオン舞い立ち スバルはさざめく

無窮をゆびさす 北斗の針と

きらめき揺れつつ 星座はめぐる


何て美しい歌詞なんだろう!

「木枯らし途絶えて 冴ゆる空より」

「ものみな憩える 静寂(しじま)の中に」

「無窮をゆびさす 北斗の針と」

日本語の美しさに心震える。


作詞の堀内敬三さんは、明治30年生まれ。

他にもドヴォルザークの新世界より『家路』とか

慶應義塾の『若き血』とか、

沢山の作品を残されている。


奇しくも、今日10月12日は、

堀内さんの没後50年の祥月命日にあたる日らしい!

大好きだった祖母と同じ明治30年生まれでもあり、

何とも不思議で素敵な、今日と言う日の偶然。




しかし、こんな美しい詩を書かれる方が、
実はマサチューセッツ工科大学大学院修士課程で、
応用力学を専攻されたバリバリの理系だというのも

・・・実に面白いw
『ガリレオ』の湯川教授(福山雅治)は物理学者だったな。

2023/05/01

歯科の診療台の上、人は無力で無防備である。

■痛み、恐怖、なされるがまま。

過去の自分が、今の状況を作ったのだ。

痛みや、それに伴う恐怖心は

過去の私の価値観に基づいた行動、

あるいは、何も考えてなかったから

適切な行動を取っていなくて

その結果として、いまここにある。

ここでは、人は無力で無防備なのである。


この先の未来で、

これとは違う良い結果が欲しいなら

この痛みと恐怖にさらされて、

それを超える必要があり、

そうやって初めて、

ここからスタートする健康リスクマネジメント。

・・・そんな大層なものでもないか(笑)


歯科の診療台の上で、人は無力で無防備である。

いや、大事な事なんだよ!

本当に、本当に、大事なんだよおおおおおお!

「歯を守ることは、いのちを守ること」

大事な事なので、もう一度書きます。

「歯を守ることは、いのちを守ること」