2024/08/10

昔のジブリのキャッチコピーを懐かしむ

言葉の持つ力の威力は、
受け取る人にもよるのだろうけど・・・

イメージという意味合いで言うと、

ぎゅっと固めておいたまま忘れてた塊が

ぶわっと開いて、何なら香り付きな感じで

記憶に残る印象深いシーンが瞬時に浮かぶ。


■ 風の谷のナウシカ(1984)

「少女の愛が奇跡を呼んだ」(徳山雅也)

■天空の城ラピュタ(1986)

「ある日、少女が空から降ってきた…」(鈴木敏夫)

■となりのトトロ(1988)

「わすれものをとどけにきました。」(糸井重里)

■魔女の宅急便(1989)

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里)

■おもひでぽろぽろ(1991)

「私はワタシと旅にでる。」(糸井重里)

■紅の豚(1992)

「カッコイイとは、こういうことさ。」(糸井重里)

■耳をすませば(1995)

「好きなひとが、できました。」(糸井重里)

■もののけ姫(1997)

「生きろ。」(糸井重里)

■千と千尋の神隠し(2001)

「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」(糸井重里)

■ハウルの動く城(2004)

「ふたりが暮らした。」(糸井重里)


そして、これだけ歳月が流れると、

好きだった作品だけ思い出す。

あの頃、私は何をしていたかな?

年齢は忘れた(笑)

2024/03/14

会えなくなっても 親孝行

■「趣味は『親孝行』」という言葉を聞いた。

離れて暮らしている親御さん達と、

月に数回程度、食事会や旅行など一緒の時間を過ごすことを

長年の習慣としているという。

既に両親ともに見送った私は、

この回答に、瞬間、淋しさや切なさを感じてしまった。

それなりの年齢ではあったし、

ある程度の覚悟はあったのだけれど。


失ってから気がつく、より具体的に

もう、喜んでもらうことは出来ないのだ。

もう、何もしてあげることは出来ないのだ。

記憶の中の、なんてことの無い会話一つ一つが

何と大切な時間だったことか。


幾つになっても、親は親なんだな。


年を重ねれば重ねるほど、

様々な経験が増えるほど、

自分に対する親の思いを理解しやすくなり、

より複雑な感情を抱きしめることとなる。

親が嬉しそうな様子には

本当に心が満たされる幸福感を感じた。

でも、もう失ってしまったのだ。


触れることも、言葉を交わすことも、

2度とは出来なくなってしまったのだ。

何という淋しさ

何という切なさ

何という喪失感

何をやってたんだ?私は。

もっともっと、できることはあっただろう?


動かせない過去にウダウダしても仕方ない。

この感情の出口を見つけるしかない。


■もし、私が残していく方だったら?

もし、自分が家族を残して旅立った方だったら?

言葉を掛けることが出来なくなってしまった私は

どう思うだろうか?


・・・幸せであってくれたら嬉しい。


元気で、つつがない毎日を重ねてくれたら

もう、それだけでいい。

それを眺めているだけで、充分幸せに思う。

で、時々、家族で思い出話なんてしてくれたら

それで笑っていてくれたら、最高に幸せ。


・・・ああ、そうか、こんなところに答えがあった。


■私が幸せなら、家族も幸せなんだと・・・決める

こういう基準は人それぞれだから、

これは私の個人的な「最適解」。

「私が元気で幸せである事が、

先に旅立った家族の喜びになる!」

そう決めてしまえば、

会えなくなっても出来る親孝行は

私の中には間違いなく存在するのだ!


思い込みでも何でも良いじゃないか。

自己満足でも良いじゃないか。

心が深呼吸する、楽になる。


■では、「私の幸せ」とは?

では、会えなくなった家族を喜ばせるような

「私の幸せ」って何だろう?

私の幸福感の基準は、条件は、何だろうなあ・・・

これを、具体的に設定してみたいな。


大丈夫、私は元気ですよ。

いつか、もう少しだけ未来に 

そっちのみんなに会える日が来たら

ちょっとはほめてもらえるように・・・

今を楽しみながら、過ごしていますよ。