2017/02/25

2017年から2012年を見て理不尽を再確認した日

ちょっとしたきっかけで
5年前の自分の書いたものを読み直している・・・読みにくいけど(笑)

時が過ぎて、自分の容量も若干増えたし、
負の感情が起因のバイアスがかかっていない分、すとんと心に落ちてくる。

だから、さらに数年後の自分のためにちょっとだけまとめてみることにした。
もともと備忘録に始めたブログだから、まあ、特に遮るものは無い。

2012年のこの頃、今から見れば笑い飛ばせるものの
結構、理不尽な目にあっていたような気もする・・・そうね、理不尽だったね。
あの頃もそう思っていたけれど、
今もその判断は間違ってはいなかったと確信できる。

ハッキリ、彼らは理不尽だったと言って良い(笑)

事実無根なのに、嘘情報に踊らされ、自分基準の正義感に酔いしれ
無関係な人達を無差別攻撃して身内で勝利宣言して悦に入っていた人々。
人を根拠無く見下し、罵詈雑言を浴びせ・・・何がしたかったのだろう?

あの頃私が望んだのは、因果応報だけだった。
その行いに相応しい報いがあればそれで良いと思った。

だけど、どうだ?
5年経ってみれば、結果的に、私にとっては何の問題も無かった。
当時の対応は、その時点での正解だった。

心に痛みは負ったけれど、真摯に丁寧に対応して本当に良かった。

時間の経過というのは偉大だ。
鈍感になれるのは才能だ。
そして傷は癒える。
痛みが消えたら、鈍感を解除して 
自分が望めばさらなる視点で検証も出来る。

検証しても意味は無いかも知れないけれど、
これから先へのワクチンには出来る。
奇妙な感覚で無遠慮に踏み込んでくる人をどう判断して対処するか。

さて、楽しみがひとつ増えた。
ここからさらに先の未来の自分へ、ささやかな贈り物。

どんな人も、その人なりの価値観と正義を基準に自尊心を持って生きている。
それを傷つけないために、私なりの価値基準を常に更新し改善し、
他者を尊重し、正しい距離感をもって気持ち良く関われるように配慮する。

敵を作るのは自分。
今の自分に相応しい人が周囲には配置され、起こることは全て自分への課題。
課題があるのは、クリアするため。
クリアするのは、豊かな人生にするため。

だから、良い課題をもらえるように、自分を鍛えていこうと思う。