2017/03/03

マイナス感情のストレス:3 『自由』

フランクルは、

収容所の極限の状況の中における

人間の生命力と順応性について書いている。


●一糸まとわぬ裸体で、水に濡れたまま

 寒い晩秋に一晩中立たされたことがあったが、

 誰も鼻風邪ひとつひかなかった



●収容所に入って以来、一度も歯を磨くことなく

 明らかな栄養失調とビタミン不足にもかかわらず、

 歯肉は栄養をたっぷり取っていた頃よりも色艶がよかった



●ずっと同じシャツのまま風呂に入ることもなく

 不衛生な環境下でありながら、

 土木工事で傷だらけになっても一度も傷が化膿することはなかった


これらのことがなぜ起こったのか?


・・・考えられる事。


過酷な強制労働であっても、

ひとたび働けなくなった体になるのは、

即、死を意味していた。


・・・という状況であったこと。



死への恐怖、

それはストレスの中でも最高度のものであるはず。


しかし・・・・


その極限のストレス下でも病気になることなく、

栄養学的にも極限の状況下でも、

病気にもなっていない人間の恐るべき生命力。



苦しみと痛み、悲しみを超えようとした人間の脳の

驚異的な可能性、耐久力の証だったのではないか?



過酷極まる外的条件が、

人間の内的成長を促す事がある。



それを見失う事は、

現実をまるごと無価値なものに貶め、

節操を失い堕落する事につながった。


…フランクルは書いている。


「自分の未来を信じる事の出来なかった者は、収容所内で破綻した。

 未来と共に精神的なよりどころを失い、

 精神的に自分を見捨て身体的にも精神的にも破綻していった。」



「勇気と希望、或いはその喪失といった情調と、

 肉体の免疫性の状態の間に

 どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、

 希望と勇気を一瞬にして失う事がどれほど致命的か

 という事も熟知している。」



諦めてしまう前に、

人間の未知なる可能性を信じてみる事で、

開ける道もあるかも知れない。



フランクルが、仲間に対して訴えた事。

それは『ユーモア』の重要さだった。


彼は言った。


「ユーモアは、

 自分を見失わないための魂の武器だ。 

 ほんの数秒でも周囲から距離を取り、

 状況に打ちひしがれないために

 人間という存在に備わっている何かなのだ。」



ユーモアこそ、

他の動物にはない、人間だけにある希望であり、光だ…と。



肉体において、筋肉を緩めることで痛みが消滅するように、

『ユーモア』とは、

心を緩めることのできる、とっておきの武器とも言える。



極限時にもユーモアを発揮できる心は

どんなに辛い時でも

自己を見失ったり生を諦めたりしない。



勿論、口で言うほどには、言葉にするほどには、

決して簡単ではないだろう。


それでも、

『生きる』ことを見つめ

その為に自分の中に

絶望ではない何かを見い出せば、

人は、予測も予想も越えた力を発揮する可能性を持っている。


…そう信じたい。


マイナス感情のストレスを跳ね返すものは、

自分と未来を信じ、

いかなる状況の中でも『希望の光』を保つ柔らかな心。



怒りも、悲しみも、絶望も、恐怖も、孤独も、

『過去』にある原因を

動かす事は絶対に叶わない。

しかし、

今、生きている『現在』は、

いくらでも変えていける可能性を持っている。



変える事の出来ない辛い過去から人を解き放つのは、

現在の自分の選択が作り上げていく、

未来への希望なのだと思う。 



あらゆるものを奪われた人間に

残されたたった一つのもの、

それは与えられた運命に対して 

自分の態度を選ぶ自由、 

自分のあり方を決める自由である

(ヴィクトール・フランクル)

2017/03/02

マイナス感情のストレス:2 『夜と霧』

『夜と霧』という本がある。


オーストリアの精神科医であり心理学者の

ヴィクトール・フランクル著。


そこには、

アウシュビッツで強制労働させられていた

ユダヤ人たちの記録が存在している。


アウシュビッツとは、

ヒトラーの政権下、

ナチスのユダヤ人絶滅計画で行われたとされる

処刑場の代名詞にもなった収容所の名前。



1955年に作られた同名のフランス映画は

この本を元にしている。

30分のドキュメンタリー作品。


DVDにもなっているこの映画について

アマゾンで調べた時にカスタマーレビューを読んだ。


みな高評価ではあるが、

原作を読んだ私には、この映像を見る勇気が無い。



ヴィクトール・フランクルは、

ナチスによって強制収容所に送られた一人。

妻も娘も両親も、すべて収容所で死んでいった。


収容所は、人間の尊厳をすべて無視し、

動物以下の生活を強い、

あまりの恐怖と飢餓に自殺者も多数出たこの世の地獄だった。



この地獄の中で、

収容されたユダヤ人たちは何を思い、

どんな人達が生き残り、

どんな人達が自殺していったか…


心理学者として、

また自分自身の感情も踏まえて、

人間の本当の極限を洞察し続けた記録が『夜と霧』。



文章として理解は出来ても、

現実としては想像もつかない。

できれば想像もしたくはない。



この最悪の世界アウシュビッツ収容所での日々の描写は、

人間が同じ人間に行った行為だとは到底思えない。



が、とりあえず今は、

『生命の保証もない極限状況下』という一側面をとらえ

その中での

人としての在り方についてだけ考えてみた。


ある時、収容所の班長と言われる男が、

フランクルの所にやってきて言った。


仲間の死のほとんどが『自己放棄』(自殺)によるものだ。

精神的な崩壊によって次の犠牲者が出ないようにするために

何をなせば良いかをみんなに教えて欲しい


と。


フランクルは言った。


「未来は未定であり、

 いつ今よりも労働条件の良い所に移送されるか分からない」



「私達が過去の充実した生活の中、

 豊かな経験の中で実現し、

 心の宝物としている事は、

 誰にも奪えない」



「私達が苦しんだ事も、

 すべては過去の中で永遠に保存されるのだから、

 ただ苦しむのでなく、 

 友に対しても家族に対しても

 人間の誇りを失うことなく

 生き続けることが大切だ」



フランクルの言葉の中に何かの光を見いだし、

未来を見つめる力を自分の中に宿した人達は生き残り、

それが叶わなかった人達の多くは破綻していった。



もし、自分が

フランクルと同じ状況であったなら、

何を考え、どのような行動をとっているだろうか?



劣悪な環境下での過酷な労働、

未来どころか明日も見えない。



理不尽に次々と命が消されていく異常な世界。

その異常な非日常も、

長く続けば『日常の景色』となる。



精神が、受け入れる事も拒否する事も出来ないままに

現実を凍りつかせたまま

永遠に立ちすくんでいるのだ。



希望も救いも見出せない日々の中で、

人はどうやって生きていけるのだろう?

2017/03/01

マイナス感情のストレス:1 『寂しい』

『寂しい』という感情は、

アルツハイマー型の認知症の進行を加速させるらしい。


今聞いたことが思い出せないというのは、

脳の海馬の機能低下でもあり、

『寂しい』という感情は、海馬と脳下垂体を弱めるという。



『恨み』は、

海馬・皮膚・卵巣・仙骨に影響を与えるそうだ。

誰かや、何かを恨むというのは、

お肌にも最悪、記憶にも最悪だということらしい。



『絶望』という感情は、

脾臓・心臓・肺を痛めるそうだ。

脾臓は、免疫の要であり、

肺の低下は血液中の酸素量の不足につながるという。



『寂しさ』・『恨み』・『絶望』

これらから解放される事は、

普通に考えて見ても体に良さそうだよね・・・



柔軟な考え方を身に付け、

ストレスをまともに受けず、

明るく、陽気な感情を維持できれば(笑)

まあ、幸せだろう。



否定的なマイナス感情のストレスが、

良い事を生むとは絶対に思えない。



ところが、

この『マイナス感情のストレス』をも超えてしまう

もっと恐ろしいストレスがある。


『感情の消滅』が、

精神にとって必要不可欠な

自己保存メカニズムであるような・・・

恐ろしい状況。


それを今の平和な日本に生きている私が

想像するのはかなり難しい。

全ての努力、全ての感情生活が、

たったひとつ『生存』という課題に向けて

究極的に集中される環境。



その中で生きるしかなかった、

いや、生きる事さえ保障されていなかった人々の事を

本で読んだ。



書いたのは、

精神科医であり心理学者でもある

一人のオーストリア人。



これは、映画にもなっていてDVDも発売されているが、

私にはそれを見る勇気が無い。



次回その事を少し書こうと思う。