2017/09/18

自信があればあるほど

自分の知識や判断力に
自信があればあるほど

一旦下した判断を、
撤回したり
修正したりするのは
きっととても
難しくなるのだろう。

そして、

自分の外に向けて 
それを表明していたりすると
それを変えるには、
相当の勇気が必要だろう。

でも、
偏らない情報と
その判断の先にある『目的』を
見失わなければ

そして、
自分の判断に
思慮不足があったなら
常にそれを修正していく
という勇気を忘れなければ

その判断の結果が
どうなっているか
ハッキリと知っているであろう
未来の自分が
「あの時はあれで良かったんだね」
と、それなりに納得してくれる答えに、
少しでも近づける。

******

これは、もしかしたら、

5~6年くらい前に
事実と全く反する
非常識な誹謗中傷を
ネット上に巻き散らかし
知らん顔して、
あちこちで繰り返しては
多くの人の心を
傷つけていた人達への、
私なりの
理解と結論かも。

今や、笑い話にしてしまえるくらい
遠い昔になった。

2017/09/16

到底理解し難い…と思えることにぶつかったら

何か、「到底、理解しがたい!」
と、思えることにぶつかったら

それが、

自分自身の、
絶対に譲れない価値観に照らし合わせての判断

なのか

それとも、自分の中の、例えば、

偏りのない情報の不足
だったり
気づかぬうちの考え方のパターン化
だったり

または、
言葉のイメージや、周囲の人たちの意見の流れ
だったり

情報を整理するために最初に何気なくやった
一時的なレッテル貼りのせい
だったり

そんな、ちょっとした原因を
何となく修正しなかったことの延長線上にある、

単純な思い込みを
自分の中で無意識に正当化するための判断

なのかどうかを

じっくりゆっくりと、落ち着いた環境の中で、
静かな状態の心で考えてみる。




すると、
意外にすんなりと・・・やり過ごせる。


命や、人としての尊厳に深く関わる事以外で
絶対に許せない!ってことは、
普通の人生にはそんなに多くはないのかも知れない。

心地よい環境は、
それをすんなり可能にしてくれる。

腹が立ったら、掃除をしてみよう。
部屋が整うほどに、心も整っていく。

それから、イヤなやつのことは・・・あんまり考えないことだな。
それは何の役にも立たないくせに、消耗させるから。

忘れた頃に、笑い飛ばせるようになる。
いろんな事ひっくるめて。


2017/08/15

広島ってとこはね、 被爆してない人が行って騒ぐところなんだ

私の年代は、
自分では経験していなくても
生きている経験者から聞いていることが実は結構ある。

父方の大叔父は原爆投下の数日後に現地に入ったという。
隣接する県だから、母方の大叔父・大叔母達は、
逃れてきて亡くなった人々を知っている。

語れないこと、語りたくないこと、
あって当たり前なのだと思う。

「広島ってとこはね、
被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。
ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない」
(『自由について 七つの問答』)

この言葉の本当の重みなんて、
私なんぞに理解できるはずもない。

だから、身内からの伝聞であっても
軽々しく語ったりするはずもなく、

ましてや、
的外れな『デモ』で騒ぎたてる人々の
傲岸不遜な主義主張など聞く耳も持たない。

日本人として、黙祷するだけだ。

2017/06/19

『小さい白いにわとり』

『小さい白いにわとり』


小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 蒔きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 蒔きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「この麦 誰が 刈りますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白いにわとりは、ひとりで 麦を 刈りました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が 粉に ひきますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで 粉に ひきました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「誰が パンに 焼きますか。」

豚は 「いやだ。」 と言いました。
猫も 「いやだ。」 と言いました。
犬も 「いやだ。」 と言いました。

小さい白い にわとりは、ひとりで パンに 焼きました。



小さい白いにわとりが、みんなに向かって 言いました。

「このパン 誰が 食べますか。」

豚は 「食べる。」 と言いました。
猫も 「食べる。」 と言いました。
犬も 「食べる。」 と言いました。












もともとは、ウクライナの民謡からのお話で、

昔、小学校の教科書にも載っていたお話らしいです。


この後、小さい白いにわとりは、豚や猫や犬に何と言ったのかな?と

子ども達に聞いたのかも知れないし、

お話を読んで、どう思いましたか?と聞いたかも知れませんが


お話が、プツンとここで終わっていると

いろんな事を考える楽しみがありますねぇ。









大人がこのお話を読むと、子ども達よりももっともっと

あれやこれや考えるでしょう(笑)


小さい白いにわとりは、みんなにパンを分けてあげたでしょうか?

小さい白いにわとりは、みんなに何か言ったでしょうか?

小さい白いにわとりは、どんな気持ちでいるでしょうか?

豚や犬や猫は、小さい白いにわとりをどう思っているでしょうか?


自分を誰に当てはめるかによっても、

色々変わって来るかも知れません。



これは、本当に面白い!

身近な人間関係、政治、宗教、様々な視点での『小さい白いにわとり』を

親しい人と、コーヒーでも飲みながら話すのも楽しそうです。

2017/06/10

適切な量と質でしゃべる

人と人との関わりにおいて

話すことでも、書くことでも、

伝え合う方法が「言語」であるならば



その言葉と表現の選択は、

とても大切なことなんだと


しみじみ感じることが多くなった・・・え?今頃?(笑)


いやいや、

垂れ流すように多くしゃべるより、

適切な量と質でしゃべる方が、

時間的にも精神的にも、

お互いにとって有益であるのは間違いないし、


SNSで文字での発言の時にも、

何を伝えたいかを見失うような文にならないよう

出来るだけ簡略に、でも要点は押さえて…と

ない頭で、それでも真面目に考える(笑)



で、その為に必要なこと、

語彙力・表現力などの知識は当たり前だけど、

伝える相手への敬意を意識すること・・・これがけっこう大事。



自分の内側から外に向けて出した言葉は

ある意味、自分の子ども達みたいなもので

手離したはずの自分にも、その言葉の影響が出る気がする。



堅苦しく考えすぎることも無いけれど

過去の自分の言葉に救われることもある。



言葉は、大切にしたいと思う。

2017/06/05

5年後の『ノイズリダクション』2012⇒2017


5年前の、2012年6月5日のブログ
『ノイズリダクション』

http://saryuju-saryuju.blogspot.jp/2012/06/blog-post_05.html

ノイズリダクションとは、雑音成分を低減させること。
または、雑音と見なされる成分を除去する処理。

お片付、整理整頓、または断捨離?の3大障壁が
  • 「勿体ない」
  • 「いつか役に立つかも」
  • 「思い出」
ならば、心のノイズリダクションの3大障壁は、さしずめ
  • 「腹立たしい」
  • 「心が傷ついた」
  • 「許せない」
ってとこかな?

その真っ只中にいる時は「大問題」でも、少し先の、未来の自分から見れば・・・

いつか時間が解決してしまうような一時的な感情は
それに費やす時間、自分の人生の残り時間の方がよっぽど勿体ない。

他人に引き起こされた感情なんて、実態のないモヤのようなもの。
ふーっと吹き飛ばしたらそれで終わり。

大事な命の時間は、もっと心地良いもの、前向きなものに使いたい。



・・・ってなことを 5年前に書いていたね(笑)

そして今の、『少し先の、未来の自分』である5年後の私は
この日常生活のノイズリダクションを、普通に毎日やっている。

鈍感になったんだか、強かになったんだかw
いずれにしても、とても楽になりました。
そして、
今の自分が、5年前に辛かったりした時を
ちょっと掘り起こしてみたら・・・

他人が自分をどう思っていたって、
それは、その人のものであって、なんなら単なる思い込み。

だから
他人の目に映ってる自分(本当の自分かどうかもアヤシイもの)のことで
腹を立てたり、悲しんだり、苦しんだりする時間は、
あれやこれや、どうにもならない、ウダウダのぐだぐだのぶりぶりは、
自分の人生には、ま~~~~ったく必要ない、時間の浪費。

って結論に、0.3秒ぐらいで到達した。

時間の節約も出来るようになって、非常に喜ばしい!
その分、物理的なお片づけ、整理整頓に回そう。
梅雨が来る前にorz


2017/06/04

元気のやり取り

自分が元気でも

家族が辛そうだと・・・辛い


元気を分け合えたらどんなにいいだろう


余った元気を、元気じゃない人に

プレゼントできたら、本当にいいなあと思う


そしたら、元気でいることが

きっと、もっともっと嬉しくて楽しい














でも、もしかしたら いつか

そんなことが出来る日が来るかも知れない


いや、もしかしたら

気がついていないだけで、人間は、

少しはそんなことが、出来ているのかも知れない














だったら、

受け取る側がもらいやすい元気がいいな

無理やりの、煩わしくなるような元気じゃなくて(笑)


自分が元気でいることが、

それだけで誰かの役に立つような

そんな嬉しく楽しくワクワクするようなことに

もし単に気づいてないだけだったとしたら・・・


すごく勿体無い!って気持ちになるなあ










う~ん、だったら

いっそのこと、

それが可能であるってのを

心の中で大前提にしちゃって


自分の中の、元気をあげるという気持ちと

相手の中の、元気をもらっちゃうという気持ちが

バッチリ合致したら

元気のやりとりが可能になる!って・・・


そういうの、あったらいいなあ。















元気ってのは

生きる力とか、何かのエネルギーみたいなものだろうから


もしかしたら、目には見えなくても

ものすごく細かい粒子みたいなものだとしたら


もし、それをやりとりできたら・・・

って考えると、本当にワクワクする。










自然は惜しみないから、大地とか植物とか、

きっとどんどん元気の粒子をくれるだろう。


それを受け取って、

必要なところへ渡すことが可能なら


渡す人も、受け取る人も、

自分の中で必要な形に変えたり

別の何かに育てたり、進化させたりとか


もう、夢と言うか妄想はどんどんふくらむ(笑)




家事・育児・介護・お仕事・・・

地に足つけたこの日常の中で、

自分の残り時間を考えた時に


まだまだ、出来ることをやれていないことに

少し焦ったり、苛立ったり、寂しく思ったりする









きっとこれは誰でもが、

いつかどこかで感じたりするんだろう


でも、まだ自分が見送らなくてはならない人がいて

でも、出来る限り幸せに長生きして欲しくて


・・・もがく(笑)


元気のやり取りが出来たらどんなに良いだろう。

だから、

元気のやり取りが出来ると信じて


大地や植物、海も山も空からも、

お日様からもお月様からもお星様からも

無限に、元気を受け取れる自分でいようと思う。


そして、

受け取るほうにとって、心地の良い質と形の元気になるように

うにゃうにゃと頑張ってみる自分になろうと思う。



今のところ、私の元気は、

原則、家族の元気のスタート地点になっているから

年間通して、概ね安定的に元気でいられるように心掛けるかー

2017/06/03

自分を自分で絶賛肯定中


見えないものを説明するのは難しい

心の中のことを説明するのは難しい


でも、言葉にして形にしてみたら

何かしら伝わるものはきっとある。


形にして残すことで、

未来の自分の役に立つこともある。

(これは、経験済み)










これまで生きてきた中で経験したこと、

それによって感じたこと、

思ったこと、

そこから考えたこと、

それをもとに行動したこと


それがみな、今の自分を創っている。











これは、私の持つ、私の形。


違法行為だったり、

良識を大きく逸脱したり、

公序良俗に反したりしない限りは、

これを否定することは、

どうしたって出来ないから・・・


もう、日々、自分を自分で絶賛肯定中だ。





て、こんな事を あえて書くということは・・・


ちょっと不安ながらも、

何かを確実に形にしようと決意し、

具体的に行動し始めている


・・・という証拠なのだな(笑)

2017/03/03

マイナス感情のストレス:3 『自由』

フランクルは、

収容所の極限の状況の中における

人間の生命力と順応性について書いている。


●一糸まとわぬ裸体で、水に濡れたまま

 寒い晩秋に一晩中立たされたことがあったが、

 誰も鼻風邪ひとつひかなかった



●収容所に入って以来、一度も歯を磨くことなく

 明らかな栄養失調とビタミン不足にもかかわらず、

 歯肉は栄養をたっぷり取っていた頃よりも色艶がよかった



●ずっと同じシャツのまま風呂に入ることもなく

 不衛生な環境下でありながら、

 土木工事で傷だらけになっても一度も傷が化膿することはなかった


これらのことがなぜ起こったのか?


・・・考えられる事。


過酷な強制労働であっても、

ひとたび働けなくなった体になるのは、

即、死を意味していた。


・・・という状況であったこと。



死への恐怖、

それはストレスの中でも最高度のものであるはず。


しかし・・・・


その極限のストレス下でも病気になることなく、

栄養学的にも極限の状況下でも、

病気にもなっていない人間の恐るべき生命力。



苦しみと痛み、悲しみを超えようとした人間の脳の

驚異的な可能性、耐久力の証だったのではないか?



過酷極まる外的条件が、

人間の内的成長を促す事がある。



それを見失う事は、

現実をまるごと無価値なものに貶め、

節操を失い堕落する事につながった。


…フランクルは書いている。


「自分の未来を信じる事の出来なかった者は、収容所内で破綻した。

 未来と共に精神的なよりどころを失い、

 精神的に自分を見捨て身体的にも精神的にも破綻していった。」



「勇気と希望、或いはその喪失といった情調と、

 肉体の免疫性の状態の間に

 どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、

 希望と勇気を一瞬にして失う事がどれほど致命的か

 という事も熟知している。」



諦めてしまう前に、

人間の未知なる可能性を信じてみる事で、

開ける道もあるかも知れない。



フランクルが、仲間に対して訴えた事。

それは『ユーモア』の重要さだった。


彼は言った。


「ユーモアは、

 自分を見失わないための魂の武器だ。 

 ほんの数秒でも周囲から距離を取り、

 状況に打ちひしがれないために

 人間という存在に備わっている何かなのだ。」



ユーモアこそ、

他の動物にはない、人間だけにある希望であり、光だ…と。



肉体において、筋肉を緩めることで痛みが消滅するように、

『ユーモア』とは、

心を緩めることのできる、とっておきの武器とも言える。



極限時にもユーモアを発揮できる心は

どんなに辛い時でも

自己を見失ったり生を諦めたりしない。



勿論、口で言うほどには、言葉にするほどには、

決して簡単ではないだろう。


それでも、

『生きる』ことを見つめ

その為に自分の中に

絶望ではない何かを見い出せば、

人は、予測も予想も越えた力を発揮する可能性を持っている。


…そう信じたい。


マイナス感情のストレスを跳ね返すものは、

自分と未来を信じ、

いかなる状況の中でも『希望の光』を保つ柔らかな心。



怒りも、悲しみも、絶望も、恐怖も、孤独も、

『過去』にある原因を

動かす事は絶対に叶わない。

しかし、

今、生きている『現在』は、

いくらでも変えていける可能性を持っている。



変える事の出来ない辛い過去から人を解き放つのは、

現在の自分の選択が作り上げていく、

未来への希望なのだと思う。 



あらゆるものを奪われた人間に

残されたたった一つのもの、

それは与えられた運命に対して 

自分の態度を選ぶ自由、 

自分のあり方を決める自由である

(ヴィクトール・フランクル)

2017/03/02

マイナス感情のストレス:2 『夜と霧』

『夜と霧』という本がある。


オーストリアの精神科医であり心理学者の

ヴィクトール・フランクル著。


そこには、

アウシュビッツで強制労働させられていた

ユダヤ人たちの記録が存在している。


アウシュビッツとは、

ヒトラーの政権下、

ナチスのユダヤ人絶滅計画で行われたとされる

処刑場の代名詞にもなった収容所の名前。



1955年に作られた同名のフランス映画は

この本を元にしている。

30分のドキュメンタリー作品。


DVDにもなっているこの映画について

アマゾンで調べた時にカスタマーレビューを読んだ。


みな高評価ではあるが、

原作を読んだ私には、この映像を見る勇気が無い。



ヴィクトール・フランクルは、

ナチスによって強制収容所に送られた一人。

妻も娘も両親も、すべて収容所で死んでいった。


収容所は、人間の尊厳をすべて無視し、

動物以下の生活を強い、

あまりの恐怖と飢餓に自殺者も多数出たこの世の地獄だった。



この地獄の中で、

収容されたユダヤ人たちは何を思い、

どんな人達が生き残り、

どんな人達が自殺していったか…


心理学者として、

また自分自身の感情も踏まえて、

人間の本当の極限を洞察し続けた記録が『夜と霧』。



文章として理解は出来ても、

現実としては想像もつかない。

できれば想像もしたくはない。



この最悪の世界アウシュビッツ収容所での日々の描写は、

人間が同じ人間に行った行為だとは到底思えない。



が、とりあえず今は、

『生命の保証もない極限状況下』という一側面をとらえ

その中での

人としての在り方についてだけ考えてみた。


ある時、収容所の班長と言われる男が、

フランクルの所にやってきて言った。


仲間の死のほとんどが『自己放棄』(自殺)によるものだ。

精神的な崩壊によって次の犠牲者が出ないようにするために

何をなせば良いかをみんなに教えて欲しい


と。


フランクルは言った。


「未来は未定であり、

 いつ今よりも労働条件の良い所に移送されるか分からない」



「私達が過去の充実した生活の中、

 豊かな経験の中で実現し、

 心の宝物としている事は、

 誰にも奪えない」



「私達が苦しんだ事も、

 すべては過去の中で永遠に保存されるのだから、

 ただ苦しむのでなく、 

 友に対しても家族に対しても

 人間の誇りを失うことなく

 生き続けることが大切だ」



フランクルの言葉の中に何かの光を見いだし、

未来を見つめる力を自分の中に宿した人達は生き残り、

それが叶わなかった人達の多くは破綻していった。



もし、自分が

フランクルと同じ状況であったなら、

何を考え、どのような行動をとっているだろうか?



劣悪な環境下での過酷な労働、

未来どころか明日も見えない。



理不尽に次々と命が消されていく異常な世界。

その異常な非日常も、

長く続けば『日常の景色』となる。



精神が、受け入れる事も拒否する事も出来ないままに

現実を凍りつかせたまま

永遠に立ちすくんでいるのだ。



希望も救いも見出せない日々の中で、

人はどうやって生きていけるのだろう?

2017/03/01

マイナス感情のストレス:1 『寂しい』

『寂しい』という感情は、

アルツハイマー型の認知症の進行を加速させるらしい。


今聞いたことが思い出せないというのは、

脳の海馬の機能低下でもあり、

『寂しい』という感情は、海馬と脳下垂体を弱めるという。



『恨み』は、

海馬・皮膚・卵巣・仙骨に影響を与えるそうだ。

誰かや、何かを恨むというのは、

お肌にも最悪、記憶にも最悪だということらしい。



『絶望』という感情は、

脾臓・心臓・肺を痛めるそうだ。

脾臓は、免疫の要であり、

肺の低下は血液中の酸素量の不足につながるという。



『寂しさ』・『恨み』・『絶望』

これらから解放される事は、

普通に考えて見ても体に良さそうだよね・・・



柔軟な考え方を身に付け、

ストレスをまともに受けず、

明るく、陽気な感情を維持できれば(笑)

まあ、幸せだろう。



否定的なマイナス感情のストレスが、

良い事を生むとは絶対に思えない。



ところが、

この『マイナス感情のストレス』をも超えてしまう

もっと恐ろしいストレスがある。


『感情の消滅』が、

精神にとって必要不可欠な

自己保存メカニズムであるような・・・

恐ろしい状況。


それを今の平和な日本に生きている私が

想像するのはかなり難しい。

全ての努力、全ての感情生活が、

たったひとつ『生存』という課題に向けて

究極的に集中される環境。



その中で生きるしかなかった、

いや、生きる事さえ保障されていなかった人々の事を

本で読んだ。



書いたのは、

精神科医であり心理学者でもある

一人のオーストリア人。



これは、映画にもなっていてDVDも発売されているが、

私にはそれを見る勇気が無い。



次回その事を少し書こうと思う。

2017/02/25

2017年から2012年を見て理不尽を再確認した日

ちょっとしたきっかけで
5年前の自分の書いたものを読み直している・・・読みにくいけど(笑)

時が過ぎて、自分の容量も若干増えたし、
負の感情が起因のバイアスがかかっていない分、すとんと心に落ちてくる。

だから、さらに数年後の自分のためにちょっとだけまとめてみることにした。
もともと備忘録に始めたブログだから、まあ、特に遮るものは無い。

2012年のこの頃、今から見れば笑い飛ばせるものの
結構、理不尽な目にあっていたような気もする・・・そうね、理不尽だったね。
あの頃もそう思っていたけれど、
今もその判断は間違ってはいなかったと確信できる。

ハッキリ、彼らは理不尽だったと言って良い(笑)

事実無根なのに、嘘情報に踊らされ、自分基準の正義感に酔いしれ
無関係な人達を無差別攻撃して身内で勝利宣言して悦に入っていた人々。
人を根拠無く見下し、罵詈雑言を浴びせ・・・何がしたかったのだろう?

あの頃私が望んだのは、因果応報だけだった。
その行いに相応しい報いがあればそれで良いと思った。

だけど、どうだ?
5年経ってみれば、結果的に、私にとっては何の問題も無かった。
当時の対応は、その時点での正解だった。

心に痛みは負ったけれど、真摯に丁寧に対応して本当に良かった。

時間の経過というのは偉大だ。
鈍感になれるのは才能だ。
そして傷は癒える。
痛みが消えたら、鈍感を解除して 
自分が望めばさらなる視点で検証も出来る。

検証しても意味は無いかも知れないけれど、
これから先へのワクチンには出来る。
奇妙な感覚で無遠慮に踏み込んでくる人をどう判断して対処するか。

さて、楽しみがひとつ増えた。
ここからさらに先の未来の自分へ、ささやかな贈り物。

どんな人も、その人なりの価値観と正義を基準に自尊心を持って生きている。
それを傷つけないために、私なりの価値基準を常に更新し改善し、
他者を尊重し、正しい距離感をもって気持ち良く関われるように配慮する。

敵を作るのは自分。
今の自分に相応しい人が周囲には配置され、起こることは全て自分への課題。
課題があるのは、クリアするため。
クリアするのは、豊かな人生にするため。

だから、良い課題をもらえるように、自分を鍛えていこうと思う。




2017/02/24

この頃、プチはまり おしゃべりペット『チワワの銀さん』













いやー、うちのチワワさんも

心の中ではこんな事を呟いてるかも

関西弁ではないけども・・・


と、思ったら(笑)


2017/02/23

仮面ライダーのOPは、電王とWが好きです(笑)

「おとなの掟」から原田真二へ繋がって、


動画をあれこれ見てたら、

auの鬼ちゃん、菅田将暉くんのがいろいろあって・・・

この頃はドラマや映画に、CMに大活躍だな。

そういえば彼は、仮面ライダーWでフィリップだったと

ここでまた、懐かしい曲探しへ繋がった(笑)

***********

・・・で、今は2021年。

4年前、ここにはYoutubeの仮面ライダー動画がたくさんはってあった。

全部表示できなくなったので消しました。

まあ、仕方が無いね。

多分、あちこちのリンクも切れているんだろうな。

一気に確認は出来ないので、気がついたときに対処したい。

しかし、『電王』のモモタロス、令和の時代では『鬼滅』の無惨様だわ。

2017/02/22

「おとなの掟」を聴いていたら、原田真二を思い出した

『カルテット』の主題歌「おとなの掟」

このところ、なんとなくハマっている1曲。

https://www.youtube.com/watch?v=cwg6ILsn8cI

で、これを聴いていると、

何故か、

原田真二を思い出してしまうのであった(笑)


何でかは分からないwww














ま、とりあえず 例によって 自分のメモとしてアップしておく(笑)


PS.

動画を色々見てたら、

仮面ライダーに行ってしまった。。。

これだからYoutubeってコワイのよ

でも、ワクワク感は否定できない(笑)

http://saryuju-saryuju.blogspot.jp/2017/02/opw.html




2017/02/15

マントヴァーニの『シャルメーヌ』

マントヴァーニの『シャルメーヌ』をBGMに
作業してたら、

なんだか気分が良くて・・・
Youtubeに拾いものをしに行ってしまった。















このところ、整理整頓モードになっている私には、

温かい飲み物とBGMは、結構大切なファクター。


で、結局今回もまた ブログは自分のメモという事を再認識w

2017/02/09

ちあきなおみさんの歌が好きだ

デジタルミュージックでは入手できず、

CDを買おうかな~と迷っているうち

Youtubeに(笑)


自分が聴きたいと思った時に聴けるように

メモ代わりに残しておくことにした。


(ちなみに、私にとって『さとうきび畑』は、ちあきさんの曲なのだ)































2017/01/15

遠い昔の記憶 『拳法混乱(カンフージョン)』 四人囃子

友人のFacebookで、

昔々のその昔、うっすら記憶のカンフー映画の

悪役の人(笑)「殺し屋 鉄心」さんの写真を見た。


あんまり昔過ぎて、ちょっと思い出すのに時間が(笑)

でも、懐かしいっちゃあ懐かしいわと

検索かけたら・・・


当時、日本公開とテレビ放映された時のみ流れた

主題歌というか、挿入歌を発見できたので

メモ代わりに載っけておくことにした。





でも、アクション的にはジェット・リーの方が好きだったかな。

2017/01/12

私の2017年 1日は16時間

2017年になって、最初の満月の日。

明けましておめでとうございます。

・・・って、言っていいんだろうか?まだ











自分なりのペースではあるけれど

ここ数ヶ月で、

様々な変化を地味に習慣化している。



12月31日が、1月1日になったとしても

「明けましておめでとう」という言葉と、

自分の国や、生まれ育った地方の祝い方を楽しむくらいで・・・



まあ、毎日が新しい日であることには変わりなし。

などと、ナマケモノな発言で幕開け。













ただ、自分を取り巻く環境を心地よくしたいと思い、

あれこれ、なんだかんだ、整理整頓は続く(笑)

断捨離でも、ときめくお片付けでも、

つまりは、

気持ちよい環境の中で生きていきたいだけなんだシンプルに。













なかなかに香ばしく放置状態のブログ、

新年だから とりあえず何か書こうなんて

へろへろと流れで書き始めたけど、


今は、家族がいろいろ人生の転機の時なので(多分)

見守りつつ、支えつつ、自分も元気に頑張りましょうと・・・


とりあえず、今年の抱負。











ああ、そうそう、『1日は16時間』だった。


24時間から、昼寝も含む睡眠時間を差っ引いてみたら・・・


1日が16時間であることに気がついた。


てか、今まで気がつかなかったなんて(笑)


24時間をキチンと生きるのは、なかなかに大変そうだけど


16時間だと思えば、


なんか、・・・出来るんじゃないかと


根拠の希薄な楽観で始まる2017年。


みなさま、今年も どうぞ宜しく!