2012/11/28

薩摩の訓え

先日は、ある土佐の『男』の言葉を書いたけど、

夢に手が届くぜよ (←クリックでその記事にとびます) 

今回は、薩摩の『男』。

幕末物は、群雄割拠の激動を描くので
取りあえずグループごとのイメージングというか
簡単な印象づけをして描かれている事が多いと思う。

薩摩・長州・土佐・幕府・新撰組 etc...

私の抱いていた薩摩の武士のイメージは、なんとな~く
『勇猛果敢』だったり、『猪突猛進』だったりして
玉砕覚悟というのか、ちょっと短慮の色合いがあったのだけど、
これを読んでその印象はまったく変わった。

う~ん、刹那に生きてるようでいて、本物は深いんだなあ。

が簡単にやり取りされている時代に生きていたからこそ
研ぎ澄まされていたんだろうな…色んな意味で。  

 
 
薩摩の訓え~『九ヶ条之掟』

一、忠孝を旨とし 文武の鍛練を励め。


一、礼儀をわきまえ郷中の団結を心がけよ。


一、山坂達者(山を走って足腰を鍛える)を励め。


一、何事にも詮議を尽し、方針が定まった後は異論を立てず言い訳をするな。


一、嘘をつくな。弱音を吐くな。


一、卑怯な振る舞いはするな。短気を起こすな。


一、弱い者をいじめるな。目上を重んじ親に反抗するな。

一、無刀で門外へ出てはならない。脇差一本を身に付けて町の辻角をまわるな。

一、いかなる時でも刀を抜いてはならない。抜けばただでは鞘に納めるな。





 
いにしえの道を聞きても唱えても 我が行いにせずばかいなし

昔の立派な教えを学んでも習っても、
口に唱えるばかりで、実行しなければ何の役に立たない。

 
楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき

身分かったりお金持ちでも、心が卑しければ尊敬できない。
貧しくて小屋に住むような人でも、心が清く正しくあれば尊敬できる。
心のあり方によって人の真価が決まるのである。 

 
はかなくもあすの命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで

用事がある、約束がある、予定がある、疲れたなどと
いつまでも言い訳しながら勉強せずに日々を過ごすのか
毎日毎日、その日その日が学びの時であると心得るべきである

似たるこそ友としよければ交らば われにます人おとなしき人

自分と似ている者を友人に選びがちだが、
自分を向上させるためには
自分より優れた人を友とするのが良い。

…こんなふうに、『いろは歌』で47首。
ひとつひとつがとても意味深い。

※上のタイトルをクリックすると、 
島津義弘.com』http://www.shimazu-yoshihiro.com/
 の中にある、『公いろは歌について』

47首と、その解説が読めます。
※日新公とは、島津義弘の祖父である島津忠良(日新斎=じっしんさい)。
  
 

そして、今回一番書きたかったのがこれ、
薩摩の訓え~『男の順序』

一、何かに挑戦し、成功した者

二、何かに挑戦し、失敗した者

三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者

四、何もしなかった者

五、何もせずに批判だけしていた者


…個人の価値観色々あるだろうけど、
男としての、いや、人としての心映えというか心意気というか

こういうものは時代に関係なく、誰もが納得する基準だと思う。 

自分がどの順位にいるかは、
ちゃんと自分が一番良く分かっているはずだ

でも、自分が望めば、そして行動すれば
自分の望む処に行けるんだよね。 

さあ、私はこれからどれを望むのだろう?

本音を言えば、四と五以外ならば取りあえずはOK(笑

 
さて、土佐・薩摩ときたか。
機会があれば次回は長州だな・・・。

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