2011/07/29

Noriko

毎年、7月31日と2月14日が近付くと色んな事を考える。
生まれた日と召された日。
自分とわずか1つ半しか離れていない、血を分けた妹の人生の意味。
1歳半で医療事故で、自由な人生と未来をすべてを失った。

それからの28年間の苦しみ…
何も悪いことなどしていないのに。
でも、どんなに泣いても叫んでも、あの笑顔はもう戻らない。

人生に理不尽は存在するのだ。

それは、いつ誰に降りかかってくるかわからない
だから、自分に与えられた日々を、心こめて生きたいと思ってい。

3月11日、多くの人に突然降りかかった突然の災害、
その後の原発事故・放射能の災。

失われた多くの命・愛・夢・未来…
これは理不尽というものではないかと思う。
あるいは不条理と呼ぶべきものかも知れない。

天災であったとしても人災であったとしても、
少なくとも被害者にとっては「自業自得」ではない。
逝かねばならなかった人の無念、残された人の慟哭。
絶望、絶たれた望み、見えない幸せな未来。

それでも、僅かに希望の欠片を見いだして
それを震える手で集めて、持ち寄って、肩を寄せ合って、手を取り合って、
少しずつ少しずつ、庇うように守るよう、大きな希望の光に育てていく。
気の遠くなるような作業・・・

人は、あまりに過酷な現実に直面すると
希望がなければ生きていけない。
生きているからこそ希望を育てられる。
希望があるからこそ生きていける。

失ったものは、もう2度と同じ形では戻ってこないけれど、
でも、違う形で、すぐ傍らに、そしてこの身の内に、きっといるのだ。
目に見えなくても、心が感じていれば、そこに確かに存在するのだ。

だからこそ、生きている者は、大切にしなくてはいけないと思う。
命の時間も、自分の生き方も。

この世には、理不尽も不条理も存在する。悲しいけれど、これは現実。

でも、怒りと悲しみの絶望の中、すぐには見つけられなくても

きっと、希望も存在している。
生きていれば。そして、生きていけば。